京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

街道をゆく

中山道恵那峡秋の景観

妻籠宿からの帰途、恵那峡で船の遊覧を楽しんだ。恵那峡の景観は昔から耳にしていて、自然が創った景観だ と思い込んでいたが、恵那峡は約80年前に木曽川をせき止めて作られた大井ダムによってできた人造湖 で、大正9年に恵那峡と命名されたということを今…

中山道妻籠宿その6

静かな平日の宿場も観光バスが到着すると賑わいだす。路傍にかつて旅人の食事に使用したのだろうか、大き な飯炊き釜が放置(展示?)されていた。その大きさを見ただけでもかつての宿場町としての繁栄さが想像出来る。

中山道妻籠宿その5

休日は大勢の観光客で混雑する宿場もウィークデーは静かな雰囲気が漂う・・・

中山道妻籠宿その4

個々の店先、軒先の趣向を凝らした飾り付けを見ながら宿場として賑わった往時に想いをはせるのもまた楽し い・・・

中山道妻籠宿その3

妻籠宿は木曽谷の西南端に位置する細長い山峡の村である。江戸時代は、中山道と伊那街道が交差する交 通の要所で、賑わっていたという。 明治になり、鉄道、道路の発達に伴い、宿場は衰退したが、 国道19号線や 鉄道が離れて作られたことが、昔の旅籠の面影…

中山道妻籠宿その2

木曾路《きそじ》はすべて山の中である。あるところは岨《そば》づたいに行く崖《がけ》の道であり、あるところは 数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道《かいどう》 はこの深い森林地帯を貫いてい…

中山道妻籠宿その1

妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道42番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町。 隣接 する馬籠宿(岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として 名高い。 経済成長に伴い全国の伝統的な…

大笹原神社 中山道(滋賀県野洲市篠原)

鏡の里から国道8号線を大津方面にしばらく走ると大篠原の交差点に出る。鏡の里からこの篠原のあたりは良 質のもち米が獲れることから篠原餅として古来から有名、中山道篠原宿に泊まる旅人の味覚を楽しませたに違 いない。鏡餅の発祥の地でもある。この交差…

中山道鏡宿界隈その2

国道8号線鏡の里も道路から一歩脇に入ると、のどかな田園風景が広がる。古道 東山道、中山道の宿場、「鏡 の宿」として栄え、旅の人々の往来が頻繁な時代の頃も同じような風景が旅人の目に写ったのであろうか。

中山道鏡宿界隈その1

石灯籠 重要文化財 宝篋印塔(ほうきょういんとう) 重要文化財 鏡神社の前をもうしばらく近江八幡方面に歩くと、源義経宿泊の館跡の碑があり、その近くには宿場の本陣跡が ある。ここらあたりが鏡の里の中心であったのだろう。鏡宿は平安末期より、鎌倉、室…

鏡神社 中山道(蒲生郡竜王町鏡)

国道8号線(旧中山道)を 蒲生郡竜王町 まで車を走せると、右側に「竜王かがみの里」という道の駅が見えてく る。この道の駅に車を停めて、8号線にかかる陸橋を渡る。ここら一帯を「鏡の里」と古来から呼ぶ。渡りきって少 し京都よりに戻ったところに「源義経…

苗村神社その2 中山道(蒲生郡竜王町)

苗村神社西本宮の道路を隔てた向かい側にあるのが東本宮である。西本宮が樹木も少なく開放的で明るい境 内に比べ東本宮は他の神社と同様に鬱蒼とした森に囲まれている。鳥居をくぐると森閑とした参道が続き、歩くう ちに心の動悸が収まり、神域に入ってゆく…

苗村神社 中山道(蒲生郡竜王町)

重要文化財楼門 右の奥国宝苗村神社西本殿 国道8号線(旧中山道)、日野川を渡って次の東川町の交差点を右折し、田園地帯をしばらく走ると、自動車道の 右側に苗村(なむら)神社西本宮の鳥居、左側の鬱蒼とした森の入り口に東本宮の鳥居が見えてくる。道路が苗…

鯖街道 朽木渓谷その5

葛川の坊村からさらに鯖街道を北上し、朽木渓流魚センターへの道を左折して、安曇川の支流に沿って山に深 く入ってゆくと、これこそ朽木渓谷の風景と言っていい眺めに出くわす。朽木渓谷秋本番の風景である。

鯖街道 朽木渓谷その4

葛川の坊村に鯖街道から少し山側に入ったところに明王院という寺がある。その奥に続いている谷を明王谷と いい、比良山への登山口となっている。明王院の紅葉が美しく朱に染まっていた。

鯖街道 朽木渓谷その3

朽木渓谷を穿つ安曇川は、京都府および滋賀県を流れる淀川水系の一級河川。流路延長52kmは、琵琶湖に流 入する河川では野洲川に次ぐ長さである。北東部、丹波高地の百井峠(国道477号が通る)近くに発し、ほどなく 滋賀県に入る。比良山地と丹波高地にはさ…

鯖街道 朽木渓谷その2

比良山系への西側からの登山口がある葛川坊村あたり。安曇川の西側にある朽木・葛川県立自然公園から眺 める安曇川の向こうの坊村の甍と後ろの山の杉と紅葉樹の彩が美しい。やや曇りがちの空の雲の切れ目から 突然秋の日差しが射して辺りの紅葉樹を明るく照…

鯖街道 朽木渓谷の秋その1

琵琶湖の西側には南北に走る比良山系がある。比良山系の東側、すなわち琵琶湖側は比良山系の山裾がなだ らかに広がっているが、西側は比良山系の最高峰武奈岳の山裾が、安曇川が穿って造った朽木渓谷に急激に 落ち込んでいて、美しい渓谷美を見せている。

鯖街道 花折峠の秋

紅葉で賑わう大原の里を抜けて国道367号線を北の山塊に向けて車を走らせる。京都府と滋賀県の県境にある 途中トンネルを抜けてさらに走ってゆくと次第に急カーブが続く山の登りにかかかってゆく。この道が有名な鯖街 道である。両側の山並みが迫り、見える…

東海道間の宿六地蔵その3

暮れゆく宿場の町並み・・・ この六地蔵では数年前から町興しの一環として5月の最終の週末、街道をライトアップしている。街道筋が暗くな ってくると道の両側の行灯の灯が町並みを浮かび上がらせ、江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚える のである…

東海道間の宿六地蔵その2

店の間は豪商の店構えらしく重厚に造られ、板戸などもよく工夫されてい.る。また、仕事場には、人力で回転さ せる木製の動輪や歯車の付いた製薬用石臼が、昔のままの姿で保存されていて、動力を伝達する歯車の構造 は興味深いものである。店の構えは東海道…

東海道間の宿六地蔵その1

六地蔵は旧東海道の草津宿と石部宿の、ほぼ中間の、「間の宿」として栄えた所で、江戸時代、旅人たちのため に道中薬を売る店が数軒あったという。そのうちの 1軒である大角家は、胃痛や歯痛などに効くという「和中散」を 売る「ぜさいや」の本舗で、慶長16…

冬の東海道関宿その3

街道をゆく幾多の旅人を見下ろしながら幾星霜、歴史の重みを感じさせる甍や軒先、欄窓、格子のたたず まい。

冬の東海道関宿その2

ひっそりとした冬の宿場の風景。旅籠の土間に一歩足を踏み入れば、時代劇映画のワンシーンのような往 時の宿場の喧騒さが目に浮かんでくる・・・ 春になれば大勢の観光客が押しかけてきて賑やかな宿場町となることだろう。

冬の東海道関宿その1

江戸からやってきた旅人は東海道の難所である鈴鹿越えを前にしてこの関宿で宿を取る。あくる日日の明 けきれないうちに旅装を整え、鈴鹿峠をめざして旅立つ。 関宿は慶長6年(1601)徳川幕府が宿駅の制度を定めて以来、東海道五十三次第47番目、屈指の宿場と…

若狭路 鵜の瀬

福井県小浜市にある史跡、鵜の瀬。 奈良二月堂の「お水取り」で水を汲み取る若狭井の水源がこの「鵜の瀬」で、奈良と若狭が「鵜の瀬」の 水中洞穴でつながっているという伝説。奈良二月堂の「お水取り」に対しここでは毎年3月2日の夜、 「お水送り」の行事…

若狭路 瓜割(うりわり)の滝

福井県若狭町の天徳寺境内奥に位置する「瓜割の滝」は、山あいの岩間から湧き出る清泉で、一年を通し て水温が変わらず、夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、その名前がつけられた。 昭和60年環境庁の「名水百選」選定されている。

西近江路(高島町 鵜川四十八躰仏)

湖西を通って敦賀に至る西近江路は、織田信長が柴田勝家に命じて北国街道を整備するまでは、越の国と 京とを結ぶメインルートとして古い歴史を持っていた。湖上の大鳥居で有名な高島町の白髭神社を過ぎて 直ぐ標識が見えるのが鵜川四十八躰仏への進入路であ…

東海道水口宿

東海道、三条大橋から始まり、大津宿、草津宿、石部宿、そして東海道五十三次の五十番目の宿場が水口 宿である。滋賀県の東南部、甲賀地域の中心に位置する甲賀市水口町。水口は都から伊勢に通じる街道上 の要地として早くに開けた。水口城の城下町として栄…

東海道水口宿 水口城

関ヶ原合戦後、徳川氏の直轄地となった近江甲賀郡水口(みなくち)は、東海道の宿場町に指定された。そ の後、3代将軍徳川家光が、 寛永11年(1634年)京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせ た。これが水口城(水口御茶屋)である。 明治維新後廃…