京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

鯖街道 朽木渓谷その3

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朽木渓谷を穿つ安曇川は、京都府および滋賀県を流れる淀川水系一級河川。流路延長52kmは、琵琶湖に流
 
入する河川では野洲川に次ぐ長さである。北東部、丹波高地百井峠国道477号が通る)近くに発し、ほどなく
 
滋賀県に入る。比良山地丹波高地にはさまれた「花折断層」の朽木渓谷を北流。高島市朽木(旧・朽木村)の
 
中心地・市場集落で支流の麻生川、北川などを合わせ、東へ向かう。高島市安曇川町に入る辺りから河原が広
 
がる。三角州を形成し、高島市安曇川町東部で琵琶湖へと注ぐ。
 
元亀元年(1570年)4月24日織田信長は越前の朝倉攻めを開始。同25日越前敦賀の妙願寺に陣を取り、手筒山
 
城を陥れ千三百余の首を討ち取った。同26日金ヶ崎城を攻め落とし、一乗谷に迫るも、同30日妹のお市を嫁が
 
せた近江浅井長政の寝返りが発覚。信長は朝倉と浅井軍の挟撃を恐れて越前金ヶ崎城からこの朽木渓谷を通
 
って京に退散した。金ヶ崎の退き口の殿軍の大将は木下藤吉郎で、この功績により信長の信頼をさらに得たと
 
いう。朽木谷の領主朽木元綱を説得して信長の朽木越えを助けたのは松永弾正久秀であった。