中心地・市場集落で支流の麻生川、北川などを合わせ、東へ向かう。高島市安曇川町に入る辺りから河原が広
元亀元年(1570年)4月24日
織田信長は越前の朝倉攻めを開始。同25日越前
敦賀の妙願寺に陣を取り、手筒山
城を陥れ千三百余の首を討ち取った。同26日
金ヶ崎城を攻め落とし、
一乗谷に迫るも、同30日妹の
お市を嫁が
せた近江
浅井長政の寝返りが発覚。信長は朝倉と浅井軍の挟撃を恐れて越前
金ヶ崎城からこの朽木渓谷を通
って京に退散した。金ヶ崎の退き口の殿軍の大将は
木下藤吉郎で、この功績により信長の信頼をさらに得たと
いう。朽木谷の領主
朽木元綱を説得して信長の朽木越えを助けたのは松永弾正久秀であった。