宝篋印塔(ほうきょういんとう) 重要文化財
ある。ここらあたりが鏡の里の中心であったのだろう。鏡宿は平安末期より、鎌倉、室町時代までは宿場としての
賑わいをみせていたが、江戸時代に入ると、「守山宿」と「武佐宿」の間の宿(あいのしゅく)となってしまい、宿場
め多くの武士や旅人の休憩の宿場町としての役目を果たしてきたという。
ここからいったん道の駅に戻って、駐車場を抜けて山に少し入ったところに忘れ去られたように遺跡が残ってい
る。この山への登り口一帯が鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓であり、西光寺という寺が建立されていた。西光寺
代にかけて将軍などの宿陣は当寺で行われることが多かったという。だが戦国時代に入ると信長の兵火で廃寺
となり、その名残にそっとたたずむ塔が宝篋印塔(ほうきょういんとう)という塔であり、総高210cm、笠石の下の塔
身の周囲は180cm。2段の基壇を築き、その上に孔雀の向かい合っている格挟間を彫った基礎を置き塔身、笠、
期1300年頃の作という。
その近くにある石灯籠が西光寺の鎮守、八柱神社(やばしらじんじゃ)の社宝で高さが2.8mもある背の高い灯篭
で、八角柱の灯篭は特に珍しく、また笠を持ち火袋には四仏が彫られていて誠に優美な意匠を凝らした灯籠で
道の駅の駐車場からわずかに山に入った場所なのに、登り口そばの御堂にも人があまり来ないのか荒れた風
情で深閑とした中で二つの塔が凛としてその姿を見せているが、かつての僧房300を擁する大寺院の面影はな
い。