京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

初夏 古都の風景その1

初夏古都の風景・・・祇園祭の鉾建てが始まり、四条界隈は何となく浮き浮きとした雰囲気が漂っていた。

7月10日 函谷鉾鉾建て

応仁の乱以前に起源をもつ函谷鉾の鉾建て。伝統に培われた、釘一本使わないで荒縄だけで鉾を組み上げて ゆく確かな技術が美しく素晴らしい。

初夏の六角堂

三条通を烏丸通りに出て少し南に下がると六角通りにいたる。この烏丸通り六角の角にある寺が六角堂。六角 堂の正式名称は、紫雲山頂法寺。用明天皇2年(587)、四天王寺建立のための用材を求めてこの地を訪れた聖 徳太子が、霊夢によって六角形の御堂を建て…

7月10日 長刀鉾鉾建て

今年も京都に祇園祭がやってきた。毎年のことながらこの時期は心がときめき、京都に足が向く。まずは長刀鉾 の鉾建て。老いも若きも職人たちは声を掛け合いながら、荒縄を巻き、木槌で叩いて締め、鉾を建ててゆく。

古都 初夏の三条通り辺り

柊屋の前の麩屋町通りを下がると三条通りに出る。三条通りは京都の東西を走る主要な道路であり、平安京の 三条大路に相当する。また、鴨川に架かる三条大橋が東海道五十三次の終点であった。明治時代はメインスト リートだったので、旧日本銀行京都支店(現…

古都 初夏の老舗

京都を東西に走る御池通りと交差する南北の通りである麩屋町通りを少し南に下がる(京都では南に行くことを 下がるといい、北に行くことを上がるという。ちなみに東に行くことを東入るといい、西に行くことを西入るという) と通りの西側あるのが「柊屋」、…

北國街道 木之本宿

北國街道~木之本宿(滋賀県木之本町) 「木之本宿」は金沢城下を起点とし、北陸と京を結ぶ「北國街道」の宿場町であり、当宿を南下し鳥居本で中仙 道に合流した。また木ノ本宿を起点とする「北國脇往還」は東海方面への主要道として、関ヶ原で中山道へ合流 …

若狭街道 熊川宿

若狭街道・鯖街道は若狭湾)-小浜[おばま]-遠敷[おにゅう]-熊川[くまがわ]宿-<水坂[みさか]峠>-保坂 [ほうざか]-朽木[くつき]宿-葛川[かつらがわ]-<花折[はなおれ]峠>-<途中越>-大原-八瀬-出町柳 -大原口(京都)の全長約71km。若狭街道は海…

若狭街道 朽木谷

「若狭街道」 若狭小浜から 上中町 の熊川宿を経て滋賀県の朽木を通り、京都の大原から出町柳に至る。別名鯖街道と いう。若狭から運ばれたひと塩の鯖は京の都に着く頃には、調度よい塩加減になった。京都の食文化の 中に今も若狭の魚がいきている。この道は…

若狭街道 花折峠の秋

紅葉で賑わう大原の里を抜けて国道367号線を北の山塊に向けて車を走らせる。京都府と滋賀県の県境 にある途中トンネルを抜けてさらに走ってゆくと次第に急カーブが続く山の登りにかかかってゆく。こ の道が有名な鯖街道である。両側の山並みが迫り、見える秋…

烏丸半島蓮自生地の眺め

毎年ブログ夏のページは烏丸半島の蓮自生地の紹介から始めているが。今年の初夏の蓮自生地の様子は上 の写真の通り蓮の姿が全く見えない。地元の新聞メディアで報道された記事によると、はっきりとした原因はまだ わかっていないということを前提とした上で…

中山道 妻籠宿

木曾路《きそじ》はすべて山の中である。あるところは岨《そば》づたいに行く崖《がけ》の道であり、あるところは 数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道《かいどう》 はこの深い森林地帯を貫いてい…

中山道 馬籠宿

中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで132里(約530km)の道程で、ここには69の宿場が設けられて いた。本州の中部山岳地帯を縦断し、木曽を通っていたことから別名を「木曽路」とも「木曽街道」と も呼ばれていた。中山道69宿のうち木曾谷には11の宿場が置…

中山道 関ヶ原宿

関ヶ原宿は中山道58番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県不破郡関ケ原町。付近は壬申の乱・ 関ヶ原の戦いの舞台であり、関連の史跡が多い。中山道と交わる北国脇往還と伊勢街道の分岐点にあたる 関ヶ原宿は、美濃十六宿の中で最も賑わった宿場であ…

中山道 柏原宿

徳源院枝垂れ桜を見たあと近くの中山道柏原宿を訪ねた。 柏原宿は中山道60番目の宿場(中山道六十九次)で、現在は滋賀県米原市。『太平記』にすでに記載されてい る中世以来の宿場。艾(もぐさ)が特産品で、最盛時には10軒以上の艾屋があったという。天保1…

中山道 醒井宿

東海道とともに江戸時代の五街道の一つとなった中山道は、この時初めて制定された街道というわけではなく、 その前身を東山道とも呼んで古代から中世にかけて西国と東国を結ぶ重要な街道でもあった。京都三条大橋を 基点として、大津、草津、守山、武佐、愛…

中山道 鳥居本宿

中山道は京都三条大橋から始まり、草津、守山、武佐、愛知川、高宮の宿場町の次がこの鳥居本宿。次 の番場、醒井を経て関が原に続いている。 江戸期以前の中山道は東海道に対して山道ゆえ東山道(とうさんどう)と呼ばれ、古代から中世にかけ て京(都)と東…

中山道 武佐宿

この「街道をゆく」の「八風街道をゆく 2012.1.22」でも説明したとおり国道八号線は旧中山道であるが近江八幡 を抜けてしばらく走り、近江鉄道八日市線をまたぐ陸橋を降りたところに友定町の交差点がある。その交差点を 右折すると八日市に続く国道421号線に…

中山道 鏡神社

国道8号線(旧中山道)を 蒲生郡竜王町 まで車を走せると、右側に「竜王かがみの里」という道の駅が見えてく る。この道の駅に車を停めて、8号線にかかる陸橋を渡る。ここら一帯を「鏡の里」と古来から呼ぶ。渡りきって少 し京都よりに戻ったところに「源義経…

元龍寺の紫陽花(甲賀西国三十三観音霊場第八番札所)

HPから転載 HPから転載 甲賀市市甲賀滝小字上出にある甲賀西国三十三観音霊場第八番札所である慈雲山元龍寺。茅葺き屋根にトタ ンを被せた観音堂があるこの寺は無住で上出地区8戸のみで護寺管理を続けている。弘安7年(1284)開山とい う。本尊の十一…

中山道 平家終焉の地

義経が元服した滋賀県竜王町 の中山道「鏡の宿」から、京の方へ少し通り過ぎた 野洲町 大篠原は、平家終 焉の地である。1185年3月24日壇ノ浦合戦で敗れた平家一門はことごとく入水、戦死した。しかし一門のうち建 礼門院、平宗盛父子、清盛の妻の兄平時忠だ…

中山道 守山宿

滋賀県守山市に残る守山宿。中山道67番目の宿場(→中山道六十九次)。江戸時代初期の1642年に「守山宿」 として制札が与えられた。この「守山」の地名は、比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が創建されたことに 由来する。すなわち、比叡山を守るという意…

東海道 関宿

三重県亀山市の 関町 にあった関宿は、箱根に次ぐ難所といわれた鈴鹿峠を越えるための、重要な宿場町 として発展した。江戸時代には東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢 参りの人々などで賑わった。 現在、旧東海道の宿場町のほ…

東海道 水口宿

東海道、三条大橋から始まり、大津宿、草津宿、石部宿、そして東海道五十三次の五十番目の宿場が水 口宿である。滋賀県の東南部、甲賀地域の中心に位置する甲賀市 水口町 。水口は都から伊勢に通じる街 道上の要地として早くに開けた。水口城の城下町として…

街道をゆく 東海道横田渡

かつて湖南を流れる野洲川は、水口のあたりでは横田川と呼ばれていた。「横田の渡し」は、「東海道 十三渡し」の一つで、伊勢参宮や東国へ向かう旅人は、この川を渡らねばならず、室町時代の史料 にも 『横田河橋』の名が見えている。 江戸時代に入り東海道…

街道をゆく 東海道間の宿六地蔵

六地蔵は旧東海道の草津宿と石部宿のほぼ中間の「間の宿」として栄えた所で、江戸時代、旅人たちの ために道中薬を売る店が数軒あったという。そのうちの 1軒である大角家は、胃痛や歯痛などに効くと いう「和中散」を売る「ぜさいや」の本舗で、慶長16年(1…

街道をゆく 東海道草津宿

近江草津は東海道と中山道が交わる東海道五十三次52番目の宿場町であった。 1601年に宿駅制が定められ 東海道には品川宿ほか10宿が置かれたが、草津もその一つとなった。草津宿は本 陣二軒、脇本陣二軒、旅籠屋七十軒余りを有し大変な賑わいを見せていたという。…

街道をゆく 東海道三条大橋

かって東海道五十三次の起点であり、過去の歴史の転換期に幾度も登場した京都三条大橋は平成の時代 も京都の象徴としてあり続ける。