近江草津は東海道と中山道が交わる東海道五十三次52番目の宿場町であった。
陣二軒、脇本陣二軒、旅籠屋七十軒余りを有し大変な賑わいを見せていたという。
川、府中と共に改所が設けられた。
残っている。 現在残っている草津本陣は、田中七左衛門本陣~木屋本陣と言われたもので1635年に創建され、
再建された。現在の建物はこの時のもので明治3年の廃止まで235年本陣として続いた。
1,400坪余りの広大な敷地に屋敷建坪468坪、部屋数39室268畳半を有し、桟瓦葺き平屋妻入りの建物である。
本陣として最大クラスの屋敷である。
のぢ』 と刻まれた「追分道標」が昔ながらに建っている。
以上ウェブサイト「ROOM1 琵琶湖の風物詩」から転載
宿帳の写真説明
慶応元年5月9日。
江戸で新入隊士を募集し、京に戻る途中、歳三らはこの草津本陣で宿泊している。
今でも残る大福帳には、斎藤、伊東、藤堂の名前も見える。
宿帳記載内容
一 新選組
土方歳三様
斎藤一様
伊東甲子太郎様
藤堂平助様
右上下参拾弐人弐百五拾文
宛御払 外弐拾四文蝋燭
弐拾丁控
彼らは、総勢32人の団体で、歳三ら幹部四人がこの本陣に泊まり、残りの28人は外の宿に泊まったものと思わ
れる。 以上 ウェブサイト「草津本陣」から引用」