京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

若狭街道 熊川宿

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若狭街道鯖街道若狭湾)-小浜[おばま]-遠敷[おにゅう]-熊川[くまがわ]宿-<水坂[みさか]峠>-保坂


[ほうざか]-朽木[くつき]宿-葛川[かつらがわ]-<花折[はなおれ]峠>-<途中越>-大原-八瀬-出町柳


-大原口(京都)の全長約71km若狭街道は海を持たない京都の人々が鮮魚を得るために不可欠な道であっ


た。若狭から運ばれた物資の中で特に鯖が有名で鯖街道の別名がある。鯖のほか、アマダイ(グジ)イカ、カレ


イも運ばれた。鯖の腐敗を防ぐため塩でしめて、丸一日かけて鯖街道を運んだ。早朝、小浜を出発し、昼夜歩き


続け翌朝ようやく京都に到着。着く頃には、丁度よい味加減になっていたという。


若狭街道鯖街道は古代、大陸の表玄関であった若狭から、大陸や朝鮮の文化が峠を越えて京都や奈良に伝


えられた重要な道でもあった。また同時に、京都の文化もこの若狭街道鯖街道を通じて小浜に伝わった。「京


は遠ても十八里」。若狭の人々にとって、京都は身近な存在だったのである。


熊川宿(くまがわじゅく)は福井県三方上中郡若狭町にある若狭と京都を結ぶ若狭街道の宿場。若狭町熊川宿


伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。室町時代に沼


田氏が山城を築いた地にあり、天正17年(1589年)に小浜城主浅野長政が近江と若狭を結ぶ鯖街道(若狭街


道)の宿場町として整備した。熊川宿は近江との国境近く、小浜と今津のほぼ中間点に位置し、江戸時代を通し


鯖街道随一の宿場町として繁栄した。近代以降は鉄道の開通やモータリゼーションの影響で旧街道は衰退


し、近年の戸数はピークである江戸時代中期の約半分になった。そのため当地域は再開発されることなく古い


町並みが残り、1996年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された。地区内には瓦葺き、真壁造または塗


籠造の伝統的建築物が多数残る。また、旧街道に沿って前川という水量豊かな水路が流れ、石橋や「かわと」と


いう水利施設などの工作物とともに歴史的景観を残している。


5月のゴールデンウィークの最終日、滋賀県の守山から琵琶湖大橋を渡って途中から花折峠、朽木を通って熊


川宿に向かった。GWの最終日でもあり宿場町には人影は少なく、静かなたたずまいを見せていた。