京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

秋の奥州路をゆく

奥州平泉 中尊寺その7

金色堂がある覆堂内は撮影禁止のため、インターネットからの写真を掲載。 まさに極楽浄土にいる心地にさせてくれる眩いばかりの仏の世界である・・・

奥州平泉 中尊寺その6

柔らかな秋の木漏れ日が降り注ぐ金色堂・・・

奥州平泉 中尊寺その5

本堂を経て阿弥陀堂の前を過ぎるといよいよ金色堂である。 中尊寺金色堂は、中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124 年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術…

奥州平泉 中尊寺その4

本堂に鎮座する本尊の釈迦如来坐像。平成25年に建立・安置された仏像であるが金色眩く、目に痛いほどであ る。だが釈迦如来坐像は穏やかな表情で手を合わせる人々を温かく見守る。

奥州平泉 中尊寺その3

月見坂にある地蔵堂、薬師堂、観音堂等に手を合わせながら参道を進むと、中尊寺の門前に出た。門をくぐると 本堂が目に入った。本堂は中尊寺の中心となる堂塔のひとつで、年間を通じて多くの法要・儀式、そして様々な 行事が行われる。現在の本堂は明治42年…

奥州平泉 中尊寺その2

堂内に入ると義経と立ち往生する武蔵坊弁慶の像が私ども参拝者達を迎えてくれる。弁慶の勇壮な姿にあらた めて手を合わせた。建物は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き、 外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻には獏や…

奥州平泉 中尊寺その1

中津川渓谷で奥州の秋を満喫した後一路福島に向かい、福島駅の駅前でレンタカーを返却。駅前から仙台駅 行きの高速バスに乗り、夕方仙台駅の駅前に到着、迎えに来てくれた娘と逢うことが出来た。 翌朝ご亭主の運転する車に乗って娘夫婦と今回の旅行の一番の…

中津川渓谷

絶景の眺望に堪能してさらに車を走らせ、深い森の中に入ってゆくと周囲が突然明るくなり渓谷に架かった橋の 上に出た。車を道路脇に停めて橋の上か下を覗きこむ。中津川渓谷である。秋元湖に流れ込む中津川の源流 にある渓谷で、約10キロにわたり滝や急流、…

秋元湖眺望

裏磐梯五色沼を後にして仙台市内の娘宅に行くべく磐梯吾妻レークラインを通って福島駅に向かった。福島駅 前でレンタカーを返却して、バスで仙台に向かうのである。磐梯吾妻レークラインは猪苗代湖の北方にある桧原 から秋元湖の北側の山中を抜けて福島方面…

裏磐梯五色沼の秋その3

五色沼は様々に変化する神秘的な水の色が名前の由来であり、五色沼という沼はなく湖沼群全体を指す。

裏磐梯五色沼の秋その2

静まり返った五色沼、秋の風景・・・

裏磐梯五色沼の秋その1

前夜裏磐梯のホテルで一泊、翌朝裏磐梯の五色沼に向かった。会津若松市の東方、猪苗代湖の北にある磐梯 山の北側一帯を裏磐梯という。磐梯山は会津盆地側からは、綺麗な三角の頂が見えることから会津富士、ある いは民謡にあるように会津磐梯山とも呼ばれて…

塔のへつりその3

洞窟から左方の岩山を登った奇岩の中にお堂があった。お堂の中に鎮座しているのは「虚空像菩薩」である。こ の菩薩は807年に坂上田村麻呂が創建したものという。ちなみに虚空像菩薩は知恵や福徳をもたらす菩薩であ り、そのご利益は成績向上や記憶力増進、商…

塔のへつりその2

下を流れる、阿賀川。今でこそ穏やかな流れのように見えるが、塔のへつりはこの川が100万年もの歳月をか け、浸食と風化を繰り返し、できあがったものである。その川に架けられた吊り橋(藤見橋)から対岸に渡る。 浸食されてできた洞窟にはいつの世から始ま…

塔のへつりその1

大内宿を後にしてこの日最後の訪問地、「塔のへつり」に向かう。 「塔のへつり」は、福島県会津地方の南会津東部を流れる大川が形成する渓谷で、大川羽鳥県立自然公園の 一角を占める景勝地である。 「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことを…

大内宿その6

大内宿のほぼ中央にひときわ大きな茅葺の建物がある。もと大内宿本陣跡にある「大内宿町並み保存館」であ る。大内宿の本陣は江戸時代初期に建てられた。戊辰戦争によって大内宿の本陣の記録、図面が紛失して発 見されなかったが昭和59年に糸沢宿、川島宿の…

大内宿その5

昭和60年代大内宿を訪れる観光客は年2万人程度であったが、バブル景気が始まると交通アクセスの整備によ り年間60万人に急増、JRを中心とした大型観光キャンペーンでPRされるようになると、平成19年には年間100万 人を突破し、県外からの観光客が90%を占める…

大内宿その4

いろいろな特産品や民芸品が店先に並ぶ・・・

大内宿その3

景観保存の努力と苦労が胸を打つ大内宿の全景・・・

大内宿その2

江戸時代にタイムスリップしたような大内宿のたたずまい・・・

大内宿その1

飯盛山を後にして次の予定地「大内宿」に向かう。 大内宿は、会津城下と下野の国(しもつけのくに)(栃木県日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区 間)の中で会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町である。 会津西街道は関…

飯盛山その5

さざえ堂から下った場所にある戸ノ口堰水神社内を流れる用水路は戸ノ口用水と呼ばれ、戸ノ口堰洞穴と呼ば れる洞窟から豊富な水量が流れていた。 戸ノ口用水は、猪苗代湖の水を会津に引くため、江戸時代初期から江戸末期まで段階的に工事が行われた。 戸ノ口…

飯盛山その4

白虎隊隊士自刃の地でかつての会津の若い藩士たちに思いを馳せながらその地を後にし、墓地から石段を 下ってゆく途中、一風変わった建物が目に入る。重要文化財である「会津さざえ堂」である。 会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立さ…

飯盛山その3

墓地の右にある「白虎隊士自刃の地」の案内に沿ってしばらく歩いてゆくと急に視界が明るくなり、眼前には会津 の町並みが広がっていた。自刃の地に建つ白虎隊士の石像が手をかざす方向に鶴ヶ城の天守閣が見えてい た。 慶応4年(1868)8月23日(新暦10月8日)…

飯盛山その2

墓地の敷地内には戊辰戦争で自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し、第九代藩主会津容保公弔歌の碑が建っ ている。「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽ちじとぞ思う」 また自刃はしなかったが戦場で戦死した他の白虎隊隊士の碑も平成13年10月に建てられ…

飯盛山その1

ホテルで一泊後翌朝、近くにある店でレンタカーを借りて飯盛山に向かった。飯盛山は会津若松市内の中心部 から少し東側にあり標高314mの山である。麓の駐車場から石段に続く坂道があるが、横に併設された有料のエ スカレーターに乗り、最後の石段を登りきる…

七日町のたたずまいその2

七日町の静かなたたずまい・・・町中を散策しながら旅情に耽っていると雨が降り出し、早々にこの日の宿、 会津若松ワシントンホテルに向かったのであった。

阿弥陀寺と七日町のたたずまいその1

会津若松市内に七日町通りという通りがある。毎月7の日に市が立ったところから名付けられた町で、現存する 大正時代の建物を中心に、蔵づくりの店や歴史を感じさせる洋館のたたずまいが、大正浪漫を感じさせるレトロ な景観を形作っている。鶴ヶ城を後にして…

会津若松城(鶴ヶ城)その6

白壁と苔むす石垣が美しい・・・

会津若松城(鶴ヶ城)その5

鶴ヶ城公園にある「茶室麟閣」が落ち着いたたたずまいを見せる。「茶室麟閣」は千利休の子・少庵が建てたと言 われる茶室である。豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(1590)蒲生氏郷が会津に入った(42万石のち92 万石)。氏郷は織田信長の娘婿であり、…