京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

#写真

19八朔の日 祇園その7

暑い八朔の日の中を涼しげそうに振る舞う舞妓さん・・・

19八朔の日 祇園その6

四条花見小路の一力茶屋へ挨拶に訪れる舞妓さん、芸妓さんたち・・・

鹽竈神社へその1

遊覧船を降りて、港にあるマリンゲート塩釜の中にある寿司屋で腹を整えてから、塩釜市内に続く津波避難デッ キに上って港全体の風景を眺めてから、徒歩で30分ほどかかる鹽竈神社(しおがま)に向かった。鹽竈神社は市 内からでもよく見える一森山という小高…

松島湾の風景その5

静かな湾内を滑るようにして航行した遊覧船は塩釜港に着岸した。 塩釜港は古くから陸奥国府多賀城のへの荷揚げ港として開かれたといわれ、藩政時代伊達政宗の水運振興策 によって港町としての機能を発揮するようになり、四代藩主綱村公の特別保護政策により…

19八朔の日 祇園その5

暖簾をくぐる舞妓さんの三本足のえりあしが美しい・・・

松島湾の風景その4

遊覧船は大小様々の島影を縫って進んでゆく。塩釜までは50分の船旅である。湾内のあちこちに養殖イカダが 浮いている。牡蠣の要職である。松島湾の沿岸漁業の水揚げ高、売上高ともに牡蠣が全体の7割以上を占める ほど代表的な水産業という。松島湾でカキの養…

19八朔の日 祇園その4

新橋通りを次々と舞妓さんや芸妓さんが姿を見せると写真愛好家たちの人影が大きく揺れ、辺りには華やいだ 雰囲気が流れる。

19八朔の日 祇園その3

八朔の祇園の写真を撮るようになって10年以上になるが、八朔の日にこの巽橋を渡る芸妓さんや舞妓さんの数 が近年随分減ってきた。橋の袂で写真を撮ろうとする写真愛好家の数が近年増加して、時には通行の妨げにな ることもあり、巽橋を敬遠するようになった…

松島湾の風景その3

五大堂の拝観を終わってすかし橋を渡った頃には雨はようやく止んでいた。これから松島湾の湾内遊覧船に乗 船する時に雨が止むとはラッキーと思いながら、五大堂とは反対側に位置する乗船場に向かった。観光桟橋に は大小の遊覧船が係留されていた。松島湾遊…

松島湾の風景その2

松島湾を臨む広場に出ると左の方に海岸と橋でつながれた小島が目に入った。五大堂の建つ小島である。 五大堂は景勝地松島にある仏堂であり、同町にある臨済宗妙心寺派の寺院・瑞巌寺の境外仏堂である。 伝承 によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠…

19八朔の日 祇園その2

今年架け替えられた巽橋の欄干はまだ檜の香りが残り、白川、巽橋の名は墨痕鮮やかに書かれていた。

松島湾の風景その1

総門から海岸通りに出ると眼前に雨に煙る松島湾が広がっていた。松島湾は日本三景(京都府天橋立、広島県 宮島)の一つである。松島湾はリアス式海岸で、この地域の大部分の地層は凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非 常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われ…

19八朔の日 祇園その1

また八朔の日、8月1日がやって来た。連日記録続きの猛暑に見舞われる日本列島。京都の祇園も凄い暑さだろ う。今年はもう行くのはやめるかと前日まで思っていたが、当日の素晴らしい夏晴れに誘われまた今年も京都に 向かってしまった。京都地下鉄の三条京阪…

円通院から瑞巌寺へその5

初夏の雨は休みなく降り続き、苔も庭石も手水もしっとりと濡れて静寂が辺りを包む。 境内の散策を終え、参道を通って総門に至り振り返ってみると雨に濡れそぼった参道の石畳が広がっていた。 参道の両側はかつては深い杉並木に覆われて昼なお暗かったという…

円通院から瑞巌寺へその4

本堂に目をやると雨足はさらに強まった。傘を差してカメラが濡れないようにして写真を撮るのは至難の技だ。 本堂の右手にある庫裏(国宝)から内部に入る。建物内は撮影禁止であり、外部にカメラを向けてシャッターを押 す。6枚目の写真に写る梅は「臥龍梅」…

円通院から瑞巌寺へその3

円通寺の門を出て左の方、土産店が立ち並ぶ道をしばらく歩くと瑞巌寺の前に出た。瑞巌寺は臨済宗妙心寺派 の仏教寺院である。 山号を含めた詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざんずいがんえんぷく ぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号…

円通院から瑞巌寺へその2

境内の庭には約350年前に造られた心字の池を中心とし石庭がある。江戸時代の日本を代表する作庭家、小堀 遠州の作といわれている。特に石橋が架けられた庭は「石庭雲外天地の庭」と呼ばれる。「天の庭」は松島湾に 実在する七福神の嶋を仏の庭として表し、「…

円通院から瑞巌寺へその1

今月中旬嫁いだ娘が住む仙台に旅した。昨年の秋に続いての奥州への旅である。前回(本ブログ-秋の奥州 路をゆく)は妻と二人で出かけたが、今回は妻の勧めもあり、一人旅となった。 初日は娘宅で旅装を解いて、翌日一人で電車に乗って、松島に出掛け、円通…

祇園祭後祭宵々々山の風景その5

祇園祭は別名「屏風祭り」とも云われてきた。立派な屏風を飾って行き交う人々に見せる家も、いまは随分と減っ たが、奥行きの長い京都独特の商家の雰囲気は永い伝統を感じさせてくれる・・・

祇園祭後祭宵々々山の風景その4

八幡山 大船鉾 八幡山、大船鉾・・・八幡山にも左甚五郎作の鳩がある。どの山も子供たちが主役だ・・・

祇園祭後祭宵々々山の風景その3

橋弁慶山 鯉山 橋弁慶山、鯉山と続く。左甚五郎作と伝わる鯉の彫刻が目を引く・・・

祇園祭後祭宵々々山の風景その2

黒主山 浄妙山 黒主山、そして浄妙山…辺りが暗くなってくると駒形提灯の輝きが増してゆく・・・

祇園祭後祭宵々々山の風景その1

鈴鹿山 役行者山(えんのぎょうじゃやま) 祇園祭の後半を締める「後祭」、宵々々山の7月21日に出掛けた。子供たちの可愛い声に迎えられてまず、鈴鹿 山、そして役行者山・・・

東近江市五個荘金堂町その4

東近江市五個荘金堂町。古来より交通の要衝で、古代には東山道、近世には中山道や御代参街道(伊勢 道)が通り、その利点を活かして、中世以降近江商人発祥地の一つとして発展。特に江戸時代後期から 昭和初期にかけて多くの商人が発生し、成功して財を成し…

東近江市五個荘金堂町その3

静かなたたずまいの金堂の町並み・・・美しい模様の錦鯉が元気に泳いでいた・・・

東近江市五個荘金堂町その2

江戸時代末期から昭和戦前期に革新的な商法で全国に行商し、豪商へと出世していった「近江商人」。五個荘 金堂は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、近江商人たちが残した舟板塀や蔵・屋敷が多く残って いる。

東近江市五個荘金堂町その1

東近江の五個荘に紫陽花が美しく咲いている場所を紹介する新聞記事を見て、出かけてみた。五個荘金堂町 の近江商人屋敷がある場所の近くであり、久しぶりに近江商人屋敷を散策しがてら出かけたのであった。 農業用水路の両側に咲く紫陽花は盛りを過ぎていた…

初夏の風景

琵琶湖湖岸、初夏の風景・・・

もりやま芦刈園のアジサイその3

梅雨空に映える華麗なアジサイの彩り・・・

もりやま芦刈園のアジサイその2

アジサイの花言葉 移り気、浮気、無常、色ごとの花言葉 青ー辛抱強い愛情、ピンクー元気な女性、白ー寛容