京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

松島湾の風景その1

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総門から海岸通りに出ると眼前に雨に煙る松島湾が広がっていた。松島湾日本三景京都府天橋立広島県

宮島)の一つである。松島湾リアス式海岸で、この地域の大部分の地層は凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非

常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。そのため多くの小島は上部に松など

が植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。さらに、海水面近くが波に洗われて鋭角に抉

られており、ややキノコに似た形になっているものもある。

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波で浮桟橋4基、や小型の遊覧船の多くが流出する被害を

受けたが同年4月29日に遊覧船の運航が再開された。

1689年(元禄2年)に「奥の細道」で松島を訪れた松尾芭蕉があまりに絶景なので句が浮かばず、「松島や ああ

松島や 松島や」という句を詠んだという逸話があるが、実際は後世の狂歌師の田原坊の作とされる。ただし、そ

の場で句が思い浮かばなかったのは事実らしい。また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものがで

きなかったともいわれる。なお、小説家の司馬遼太郎は、紀行集『街道をゆく』「仙台・石巻」にて、「松島や ああ

松島や 松島や」の句が芭蕉作として松島の看板などの観光資料に記されていることに対し、松島の観光関係者

を批判している。

「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる

者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるありる」で始まる「奥の細道」で松尾芭蕉は松島

を以下のように書いている(現代語訳)

「まあ古くから言われていて今さら言うことでもないのだが、松島は日本一景色のよい所だ。中国で絶景として名

高い洞庭・西湖と比べても見劣りがしないだろう。

湾内に東南の方角から海が流れ込んでいて、その周囲は三里、中国の浙江を思わせる景色をつくり、潮が満ち

ている。

湾内は沢山の島々があり、そそり立った島は天を指差すようで、臥すものは波にはらばうように見える。あるもの

は二重に重なり、またあるものは三重にたたみかかり、左にわかれ右につらなっている。

小島を背負っているように見える島もあり、前に抱いているようなのもあり、まるで親が子や孫を抱いて可愛がっ

てるようにも見える。

松の緑はびっしりと濃く、枝葉は汐風に吹きたはめられて、その屈曲は自然のものでありながら、人が見栄えい

いように意図的に曲げたように見える。」…と。