の仏教寺院である。 山号を含めた詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざんずいがんえんぷく
哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までの工事で完成させた。今に
伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、政宗の造営によるものである。この折、寺の名を改めて
「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。住持が一時不在だったが、寛永13年(1636年)に雲居が入り、伊達氏の
曜日には芭蕉祭が行われている。
受付で入場券を渡して振り向くと岩壁を穿って造られた洞窟に仏が鎮座する法身窟が視野に入り、右に眼を向
けると参道の両側に杉の大木が続く奥に中門が見えている。近づいてみるとひときわ太い杉の巨木が三本立っ
押し寄せ、瑞巌寺のシンボルであった杉並木はその後の塩害によって立ち枯れが目立ったことから、約300本が
伐採された。 いま立つ杉並木はその生き残りの杉という。その後ろに左に重文の御成門、そして右にこれも重
文に指定されている中門、そして中門の奥に見える建物が国宝の本堂である。いずれの門や本堂は初夏の雨