京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2010-01-01から1年間の記事一覧

千灯供養その4

供養が済んで僧侶たちが西院の河原から出てゆくと、入れ替わりに大勢の人々がローソクを片手に入ってき て、思い思いの石仏の前でローソクに灯をつけて静かに手を合わせる。次第に石仏の間に見え隠れするローソ クの炎の数が増えてゆく・・・

千灯供養その3

供養の始まる時間まで地蔵堂の前で待つ人々。時間になると地蔵堂で供養の読経が流れ、周囲の人々は手を 合わせる。その後僧侶たちは西院の河原で無縁仏に対する供養を行う。読経の声が水のように石仏や石塔の 間にしみこむようにして静かに流れるのである。

千灯供養その2

夏の日差しが西の小倉山の端に傾くと、西院の河原は少し暗くなった。地蔵堂の提灯が次第に明るさを増す。 境内の受付で経板を納める善男善女のあたりをはばかるような小さな声が目立つほどに、境内の人の多さを感 じさせない静寂さが気持いい。数え切れない…

千灯供養その1

愛宕神社一之鳥居から愛宕街道を念仏寺まで下ってくると。供養の受付は5時半、供養開始は6時でまだ一時 間もあるのにすでに列が出来ていたので列に加わる。そうこうする内に添乗員に引率された団体さんがやってき た。団体のおばあさんに聞いたら、今朝早く…

鳥居本愛宕神社一之鳥居

昔ながらの風情を残す一之鳥居の前の「つたや」、鳥居をくぐったところにある「平野屋」。いずれも鮎茶屋として 江戸時代の創業。静かな晩夏の午後である。 平野屋の前では嵯峨美大の学生が灯篭の制作に汗を流していた。この先愛宕街道は愛宕念仏寺を経てト…

あだし野から鳥居本まで

千灯供養の始まる時間までまだ時間はたっぷりある。念仏寺の石段下を過ぎてさらに足を運ぶ。愛宕神社の一 之鳥居が木立の間に見え隠れする。途中嵐山高雄パークウェイの陸橋が道路を跨いでいる。同パークウェイの 開通は昭和40年であるが、今だつたら環境破…

念仏寺門前町界隈

京都に生まれ育ったわたしはいつも「嵯峨」という言葉を聞くと郷愁を感じ、涙腺がじわっとなり鼻の奥がツーンと なるような感覚におそわれる。昔の嵯峨、特に奥嵯峨一帯は鄙びたところであった。野々宮神社を過ぎて直ぐ山 陰線の無人の踏切がある。踏板を渡…

晩夏 あだし野念仏寺まで

奥嵯峨の小倉山の懐に抱かれたようにある「あだし野念仏寺」で毎年8月23、24日に行われる千灯供養。 「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」とな り、この世に再び生まれ化る事や、…

銀閣寺の夏その5

銀閣は、足利義政の山荘東山殿に造営された観音殿のことで、義政の祖父・3代将軍義満が建てた金閣と対比 されて用いられる通称である。金閣、飛雲閣(西本願寺境内)と併せて「京の三閣」と呼ばれる。1489年(延徳元 年)に上棟されたことがわかっており、…

銀閣寺の夏その4

「銀沙灘」の砂に劣らず、苔もみずみずしく木漏れ日の中で鮮やかな色を放っていた。夏の日差しもここまでは 襲ってこない。

銀閣寺の夏その3

錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園。「苔寺」の通称で知られる西芳寺庭園(夢窓疎石作庭)を 模して造られたとされるが、江戸時代に改修されており、創建当時の面影はかなり失われているといわれる。「銀 沙灘」、「向月台」と称される2つ…

銀閣寺の夏その2

砂を盛った向月台(はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説がある)のきめ細かに固めた砂の 陶磁器のような肌と均整のとれた円錐形の造形。そして白砂模様が描かれた銀沙灘、周囲の松を中心とし木々 の緑との調和。そして奥にある観音堂。中国…

銀閣寺の夏その1

大文字送り火の日の銀閣寺、正式名東山慈照寺(とうざんじしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、室町時 代後期に栄えた東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)。 総門から中門まで長さ約50メートルの参道の両側にある4mほどもある…

里山シリーズ58 棚田の夏その2(滋賀県高島市畑)

三年前に初めてこの棚田を訪れて、その後何度となく訪れていると思って調べてみたら三度しか来ていない。 比良山の麓、高島市の山奥という地理的な条件があって足繁く来ていなかったのだろう。昨年の12月に来たとき などは初雪と凍結で、途中の雪の少ないと…

里山シリーズ58 棚田の夏その1(滋賀県高島市畑)

比良山の北方の山裾に広がる滋賀県高島市の畑には「日本の棚田百選」に選ばれた「畑(はた)の棚 田」がある。四季折々の美しい景観が評価されて、滋賀県内で唯一「日本の棚田百選」である。 その棚田にも夏が訪れていた。

芸妓さんその3

祇園の芸妓さんの豊かな表情・・・京女の強さと優しさと、そしてしたたかさが・・・

日傘

日傘・・・今年の八朔に限っていえば日傘を差さない舞妓さんたちが多かった。可愛い色や図柄の和日傘を指す 舞妓さんの姿が見たかったのだが・・・

沖島その6

今年から島興しと観光客の誘致のため「沖島うなぎ祭り」を8月の第一週の週末に実施するということで港はそ の準備にかかっていた。魚をさばいていた漁師さんに聞いてみると、琵琶湖で獲れる天然うなぎは大振りで腹が やや黄色味をおびていて味は最高で、当…

八朔の風景その3

席を置く置屋が違うと、舞妓さんたちは互いに料亭以外の場所で顔を合わすことが少ないから、八朔の日は行 き交う毎に挨拶を交わす。交わす京言葉の響きが美しい。いつに変わらない八朔の日の風景である。

芸妓さんその2

夏の暑さを忘れさせてくれる凛とした祇園の芸妓さん・・・

沖島その5

琵琶湖に向かって大きく開かれた校庭。夏休みで誰一人子供の姿を見ることは出来ないが、在校生が10人しか いなくても休み時間の子供たちのざわめきが聞こえてくるようだ。あの英霊の墓石に刻まれた故陸軍歩兵軍曹も この小学校の卒業生に違いない。

芸妓さんその1

一昨年の秋襟換え(舞妓さんから芸妓さんになること)した市有里さん。祇園の芸妓としての品格が備わってきた ようだ。

沖島その4

右手に漁港を見ながら10分ばかり歩いてゆくと小学校の校舎が見えてくる。沖島小学校である。現在職員数10 名、生徒数は1年女子生徒1名、2年男女生徒各1名、3年女子生徒1名、4年男女生徒各1名、5年女子生徒2名、 6年男女生徒各1名の計10名(男子生徒3名、女子…

暖簾・垂れ幕・簾

暖簾、家紋入り垂れ幕、簾は祇園になくてはならないもので京都らしさを演出する。とくに暖簾をくぐるときの舞妓 さん、芸妓さんたちの何気ないしぐさ、手の動きが可愛くもあり、洗練された美しさでもある。

沖島その3

漁港から吹き上げてくる熱波のせいであろうか、風通しの悪い山道は蒸し暑く、吹き出した額の汗が目に沁み る。首に巻いたタオルで拭こうと顔をあげた途端、墓地が目に飛び込んできた。照りつけられた夏の日の中、草 いきれと熱せられた墓石に陽炎が立つよう…

八朔の風景その2

舞妓さんや芸妓さんが歩いていない場所にはカメラ愛好家の姿も少なく、ファインダーから覗いた真夏の昼前の 祇園風景には風情が漂う。二階にすだれが架かるこの通りは「祇園新橋」といい、伝統的建造物群特別保存地 区として伝統的な祇園の情緒を今に残す一…

沖島その2

小さいながらも整然とした気持のいい、静かな沖島の漁港である。港に降り立って右のほうへ歩いてゆくと「ケン ケン山」への登り口という表示が出ていた。山に登れば見晴らしが開けて島の様子も分かるに違いないく、民家 の裏庭を通り抜けて行くような小路を…

うしろ姿

芸妓さんのうしろ姿。紗の紋服の黒と薄桃色の蹴出し、真っ赤の帯揚げが夏の日にまぶしい。

沖島その1

緑深い沖島が近づき、弁天神社の鳥居の影が次第に大きくなってくる。狭い平地にへばりついたように密集する 民家の甍が目に飛び込む。思っていたよりはるかに多い数の漁船が狭い港内に停泊していた。 軽い衝撃とともに連絡船は着岸、沖島の地に第一歩を印す…

八朔の風景その1

また京都祇園に8月1日(八朔の日)がやってきた。京都祇園の真夏の恒例行事に今年も小生も含めて大勢の写 真愛好家が押し寄せる。それでも祇園の町をゆく舞妓さんや芸妓さんはいやな顔ひとつせず笑顔とおすまし顔 で暖かく迎えてくれる。祇園の女性たちは気持…