大堰川の南側の川岸をしばらく上流に向かって歩いてみる。南側は山が迫ってきているため、向こう岸のような
開けた明るさはないが、青々とした紅葉が夏の太陽を遮ってくれる。秋になるとこれらの紅葉が一斉に真赤に染
まって嵐山全山が燃えるような嵐山独特の景観を見せてくれるのである。その紅葉の下では昔からボート遊び
の客に飲食を提供する業者が川岸に店を開いている。屋形船が近づいてくると船に横付けして商売をする業者
もいる。
来、この嵐山で一日遊んだという。そのとき嵐山の景観があまりにも荒れ果てていたので、随行者に尋ねてみる
と、徳川時代はこの嵐山の景観を守るために幕府は長年財政的援助をしていたが、御一新のあとは明治政府
の援助はなく、荒れるに任せてあるという。それを聞いて大久保はあの憎むべき徳川幕府もやるべきことはやっ
ていたのだなあと嘆息まじりにつぶやいたという。それからは明治政府はこの嵐山の景観の維持に尽くした。こ
んなことを考えていると最近テレビで見たドキュメンタリーの話を思い出した。それは明治神宮の森のことであ
る。いまは深い樹木に覆われて数多くの野鳥が住み、太古の昔からあったように思われていた神宮の森が、実
だったという。それを当時の建設省の役人が50年、100年の先を見据えた設計に基づいて植林して森づくりに努
力をしたという。その結果が今日の自然溢れる景観を都民に提供しているのである。確かに自然の破壊は取り
返しのない愚挙ともいえるが、英知と時間をもってすればまた自然は取り戻せるという話である。