天守閣跡から眺めた内堀はさざなみ一つなく、鏡のように静かなたたずまいを見せていた。二条城の外堀、内堀
人柄、とくに経済感覚の違いを際立たせている。徳川家康は吝嗇家であった。二条城のスケールの小ささは場
所が京の町の真ん中にあるということもあるが、徳川幕府の権威の象徴として、朝廷に対し睨みを利かせる城と
してはこの程度でいいと判断したのではあるまいか。だがその程度であったとしても現代からすればよくぞ建て
てくれたと感謝せねばなるまい。
本丸から西橋を渡ったあたりは閑静で静かなたたずまいが続く。