京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

盛夏三井寺をゆくその4

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弁慶鐘の収まる霊鐘堂の前を過ぎると見えてくるのが一切経蔵(重文)-室町時代の建築。毛利輝元の寄進に
 
り、慶長7年(1602年)、山口市の国清寺の経蔵を移築したものという。輝元は、関ヶ原の戦いで家康に対抗し
 
た西軍の総大将。輝元が一切経蔵を山口から大津まで移築するには、相当の出費を要したはずで、そこにはそ
 
せざるを得ない政治的な事情があったのではと推測されている。経蔵は1間四方の母屋を宝形造として頂点
 
に露盤・宝珠をのせ、母屋の周りに裳階(もこし)をつけ、ともに外観は二重の建物である。裳階の平面規模は正
 
面11,54m、側面13,06mで、母屋の前柱は大虹梁でうけて、輪蔵前の空間をひろくして、間隔をひろく配置)、詰
 
組の組物など禅宗様の形式を具備している。経堂の中には一切経をおさめた八角回転式の八角輪蔵(重文)が
 
ある。輪蔵とは回る書架という意味で高麗版の一切経が収められている。この輪蔵を回すとお経を読んだと同じ
 
御利益があるという。
 
一切経堂の左に見える瀟洒な三重の塔(重文)は鎌倉時代末期から室町時代初期の建築。奈良県の比曽寺に
 
あった塔を豊臣秀吉伏見城移築したものを、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させたもので一切経
 
堂といい、三重の塔といい戦国時代の毛利輝元豊臣秀吉徳川家康の盛衰を見る思いである。