2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧
満月寺浮御堂は、大津市堅田、琵琶湖畔の臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂。近江 八景「堅田の落雁」で名高い。堅田の浮御堂の通称でも知られている。伝によれば、源信(恵心僧都)(942年 - 1017年)が比叡山横川から琵琶湖をながめる…
大内宿のほぼ中央にひときわ大きな茅葺の建物がある。もと大内宿本陣跡にある「大内宿町並み保存館」であ る。大内宿の本陣は江戸時代初期に建てられた。戊辰戦争によって大内宿の本陣の記録、図面が紛失して発 見されなかったが昭和59年に糸沢宿、川島宿の…
近江八幡にある小さな漁港の秋の風景・・・
昭和60年代大内宿を訪れる観光客は年2万人程度であったが、バブル景気が始まると交通アクセスの整備によ り年間60万人に急増、JRを中心とした大型観光キャンペーンでPRされるようになると、平成19年には年間100万 人を突破し、県外からの観光客が90%を占める…
いろいろな特産品や民芸品が店先に並ぶ・・・
遠くに比良山、近くに八幡山を背景にコスモスが美しく咲き乱れる・・・
景観保存の努力と苦労が胸を打つ大内宿の全景・・・
日牟礼八幡宮の境内の静かなたたずまい・・・
江戸時代にタイムスリップしたような大内宿のたたずまい・・・
桜の葉が紅く染まり出した八幡堀初秋の風景・・・
飯盛山を後にして次の予定地「大内宿」に向かう。 大内宿は、会津城下と下野の国(しもつけのくに)(栃木県日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区 間)の中で会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町である。 会津西街道は関…
さざえ堂から下った場所にある戸ノ口堰水神社内を流れる用水路は戸ノ口用水と呼ばれ、戸ノ口堰洞穴と呼ば れる洞窟から豊富な水量が流れていた。 戸ノ口用水は、猪苗代湖の水を会津に引くため、江戸時代初期から江戸末期まで段階的に工事が行われた。 戸ノ口…
白虎隊隊士自刃の地でかつての会津の若い藩士たちに思いを馳せながらその地を後にし、墓地から石段を 下ってゆく途中、一風変わった建物が目に入る。重要文化財である「会津さざえ堂」である。 会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立さ…
墓地の右にある「白虎隊士自刃の地」の案内に沿ってしばらく歩いてゆくと急に視界が明るくなり、眼前には会津 の町並みが広がっていた。自刃の地に建つ白虎隊士の石像が手をかざす方向に鶴ヶ城の天守閣が見えてい た。 慶応4年(1868)8月23日(新暦10月8日)…
墓地の敷地内には戊辰戦争で自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し、第九代藩主会津容保公弔歌の碑が建っ ている。「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽ちじとぞ思う」 また自刃はしなかったが戦場で戦死した他の白虎隊隊士の碑も平成13年10月に建てられ…
ホテルで一泊後翌朝、近くにある店でレンタカーを借りて飯盛山に向かった。飯盛山は会津若松市内の中心部 から少し東側にあり標高314mの山である。麓の駐車場から石段に続く坂道があるが、横に併設された有料のエ スカレーターに乗り、最後の石段を登りきる…
七日町の静かなたたずまい・・・町中を散策しながら旅情に耽っていると雨が降り出し、早々にこの日の宿、 会津若松ワシントンホテルに向かったのであった。
会津若松市内に七日町通りという通りがある。毎月7の日に市が立ったところから名付けられた町で、現存する 大正時代の建物を中心に、蔵づくりの店や歴史を感じさせる洋館のたたずまいが、大正浪漫を感じさせるレトロ な景観を形作っている。鶴ヶ城を後にして…
白壁と苔むす石垣が美しい・・・