対してここを少菩提寺と証した。住侶学房三十六宇、交衆十六家、属侍十九家、承仕二十五人、仕丁十八人ま
ない。その遺物の石塔や石仏が残る竹やぶや雑木林には心惹かれるものがある。
なっている竹藪の中にあるが、かつてこの地にあった菩提寺の遺構の一つである。台石の西南面には、全文は
判読しがたいが造立の由緒を刻み、軸石の西北面には仁治2年(1241)の年記と願主、施主の名を刻んでいる。
初重笠石は軒と隅でわずかに反らせ、笠石の上に亀腹型と二重軸部を円形に作り出した石をのせ、さらに斗繰
をつけた方形の石をのせて、二重笠石を受けている。仁字2年(1241)本願主僧良全、施主日置氏娘と刻まれた
在銘の鎌倉塔である。石造宝塔としてはやや異形に属するが、その規模も大きく、かつ造立年代の確実なもの
として貴重である。この塔は石部の長寿寺にあるものと同じで、珍しい形をしている。堂々とした力強い塔であ
る。
左右に二体は南北朝時代の作。