京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

薬師寺西塔その2

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西塔は華やかな塔だけに遠目にも華やかで美しい。とくに陽が生駒の山並みに傾く頃、法輪が鮮やかに輝きを
 
放ち出す。直ぐ脇を近鉄電車が走る。いまなら絶対に許されないことだが電車と西塔の組合わせもまた一興で
 
ある。
 
宮大工の西岡常一は著書の中でこんなことを書いている。
 
「そこへいくと飛鳥の大工はえらかった。なにせやね、仕事が早い。今の人は便利な工具持ってるくせに時間が
 
かかるわな。薬師寺でもそうですわ。飛鳥の時代に、七堂伽藍全部とほかに14棟の建物作ったんですが、それ
 
が14年でっせ。わたしらは19年かかってやっと金堂と西塔と中門しただけですわ。昔は工具かて今のようなも
 
んやなくて、全部人の手でやったんでしょう。優秀な人がたくさんいたんですな。総棟梁が一人で、おまえ西塔
 
やれ”“おまえ東塔やれ言うだけででけたんや。今はできませんわ。昔の人は立派です。」
 
 「檜のええとこはね、第一番に樹齢が長いということです。法隆寺の伽藍の材料がだいたい千年か千三百年くら
 
いで伐採されて材料になってるんですわ。で、台湾に行くと二千六百、二千四百年というのがあるんです。」
 
「しかし、その樹齢の長い檜が日本には残ってませんのや。わたしらが法隆寺薬師寺の堂や塔を建てるため
 
には、台湾まで檜を買いにいかなあならんです。なさけないことですよ。」
 
「今、日本で一番大きいのが木曾の四百五十年。これでは堂も塔もできません。木がなくなったら、細々と受け
 
継いできた木の文化もなくなってしまいますな。とにかく千年かからんとものにならんのやから、個人ではあきま
 
せんわ。」
 
「今の大工は耐用年数のことなんか考えておりませんで。今さえよければいいんや。とにかく検査さえ通れば、
 
あすはこけてもええと思っている。わたしら千年先を考えてます。資本主義というやつが悪いんですな。利潤だ
 
け追っかけとったら、そうなりまんがな。それと使う側も悪い。目先のことしか考えない。」
 
建築基準法も悪いんや。これにはコンクリートの基礎を打回して土台をおいて柱を立てろと書いてある。しか
 
し、こうしたら一番腐るようにでけとるのや。コンクリートの上に、木を横に寝かして土台としたら、すぐ腐りまっ
 
せ。20年もしたら腐ります。やっぱり法隆寺薬師寺と同じに、石を置いてその上に柱を立てるというのがだいじ
 
なんです。明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもだめなんや。」
 
 「槍ガンナは室町ごろから忘れられておった。だが、昔の人の削った柱見て、触ってみると、台ガンナや手斧じゃ
 
できん肌触りと実にいい曲線が出てる。何で削ったんやろと思うて調べて、正倉院にあった小さな槍ガンナを元
 
に再現したんやが、鉄が悪くて切れんのですわ。それで堺の刀鍛冶に頼んで法隆寺の古釘を使って槍ガンナを
 
仕上げてもらった。これが切れるんですな。鉄がそれぐらい違うんや。」
 
「使ってみて、研いで初めてわかるんですな。時代が進歩したいいますけどな、道具はようなってませんで。今
 
のは鉄の質が悪い。明治になって溶鉱炉使うようになってから悪くなった。鉄鉱石をコークスで溶かして使いま
 
すやろ。高温短時間でやってしまう。この方が利潤は多いやろうけど、鉄はけっしてええことないのや。鉄はじっ
 
くりと温度あげていかないけません。昔はコークスなんてなかったから、熱源に松炭燃して、砂鉄使ってまし
 
た。」
 
「科学が発達したゆうけど、わしらの道具らは逆に悪うなってるんでっせ。質より量という経済優先の考え方がい
 
けませんな。手でものを作りあげていく仕事の者にとっては、量じゃありません。いい物作らなあ、腕の悪い大工
 
で終わりでんがな。」
 
                     木に学べ-法隆寺薬師寺の美 / 西岡 常一(薬師寺宮大工棟梁)(著)から