京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

17祇園祭

7月17日山鉾巡行 函谷鉾辻回しその2

函谷鉾も割れるような拍手の中、無事に辻回しを終え、新町通りへと進んでゆく。

7月17日山鉾巡行 函谷鉾辻回しその1

続いて函谷鉾の辻回し・・・

7月17日山鉾巡行 長刀鉾辻回しその3

長刀鉾が新町通りへの方向転換を終え、車方たちは役目の終わった竹束を鉾の下に素早く片付けると、長刀鉾 は新町通りへの南下を開始。辻回しが終わっても、車方たちには動いている車輪の間に身を入れて、テコで鉾 の方向を調整してゆく危険な作業が続く・・・

7月17日山鉾巡行 長刀鉾辻回しその2

迫力が伝わってくる辻回しの連続写真・・・

7月17日山鉾巡行 長刀鉾辻回しその1

辻回しとは鉾の方向転換をいう。長刀鉾は稚児を降ろし一息いれてから御池通り新町を左折して狭い新町通り を南下する。割り竹を車輪の下に敷きつめ水を撒いて車輪を滑りやすくして、一気に車輪を横滑りさせ鉾を左折 する。鉾の前に立って音頭をとる音頭取り…

7月17日山鉾巡行 長刀鉾その3

強力の肩に担がれた稚児が正面を向いて凛とした表情を見せると周りから歓声と拍手が沸き起こった。そして 階段を降り、緋傘が差しかけられると一段と拍手が響く。 祇園祭は7/1の吉符入(きっぷい)り(神事始め)に始まり、1ヶ月間に渡り繰り広げられる。一…

7月17日山鉾巡行 長刀鉾その2

長刀鉾が所定の場所に停車すると、正面に梯子が架けられ、稚児の両側に従った二人の「禿」(かむろ。家来 役)が鉾から降りると、次に稚児が屈強の強力の肩に担がれて降りてくる。高い鉾の上で強力の肩に担がれる 様子はスリルがあり、人々は固唾を吞んで見…

7月17日山鉾巡行 長刀鉾その1

山鉾巡行当日、御池烏丸の西、新町の角で朝八時から場所を陣取り、先頭の長刀鉾を待つことにした。ちょうど 長刀鉾から稚児が降りる場所がよく見える場所である。11時過ぎ御池通りの東方から威風堂々の長刀鉾がその 姿を見せた。祇園囃子の音色が大きく聞こ…

7月14日宵々々山の町中風景

宵々々山、西日に輝く町中風景・・・

7月14日宵々々山 函谷鉾お囃子風景

各鉾町を回って函谷鉾のもとに戻ってきたらお囃子の準備が始まっていた。しばらくするとお囃子が始まった。 笛、太鼓、鉦の優雅なお囃子の音色があたりを包む。見物客たちも足を止めてお囃子に聴き入っていた。

7月14日宵々々山 船鉾

神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にし、舳先には金色の鷁、艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様の舵 をつけ、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒・吹流しをひるがえす。

7月14日宵々々山 山伏山・伯牙山

写真上4枚山伏山、下4枚伯牙山。 山伏山 山に飾るご神体が、山伏の姿をしていることから山伏山と呼ばれる。昔、八坂の塔が傾いたとき法力に よってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている。 伯牙山 琴の名人であった伯牙が手に斧を持ち…

7月14日宵々々山 放下鉾

陽が西に傾く頃になると和服姿の女性も目立ち始める・・・

7月14日宵々々山 月鉾

西日を受けた月鉾の提灯が輝く・・・

7月14日宵々々山 占出山・霰天神山

上写真4枚占出山 下写真4枚霰天神山 占出山 「鮎釣山」ともいう。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。水引は三十 六歌仙図の刺繍。前懸・胴懸は日本三景の綴錦で天保2年(1831)の制作で山の傍の町屋で展示されている。 霰天…

7月14日宵々々山 菊水鉾

恥ずかしそうに提灯に大きな身を隠す菊水鉾・・・

7月14日宵々々山 函谷鉾

函谷鉾は天明の大火(1788)に焼失、50年後の天保10年(1839)に町在住の先人達の大変な努力の積み重ねに より、今の函谷鉾が復元されたという。

7月14日宵々々山 長刀鉾

山鉾の巡行日の三日前を宵々々山という。二日前を宵々山、前日を宵山という。毎年人混みを避けて宵々々山 に出掛けてくる。特に今年は三連休の前だからきっと夜は人混みに溢れかえるに違いない。11日の鉾建ての日 骨組みばかりだった鉾も周囲を胴掛で飾り立…

7月11日鉾建て 鶏鉾

室町通り四条下がる鶏鉾町にある鶏鉾。中国・堯(ぎょう)の時代、天下がよく治まっていたため使われなくなっ た訴訟用の太鼓に、鶏が巣を作ったという故事に由来する。真木に巻いた縄の造形が美しい。

7月11日鉾建て 放下鉾

月鉾からさらに西に行って新町通りを北に向かうとあるのが放下鉾。鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放 下僧の像を祀るのに由来する。最後の写真は「石持」といい、ひび割れを避けるため鉄枠が撒かれている。鉾に より松材や欅材、桜材が使われている。…

7月11日鉾建て 月鉾その2

正装した月鉾保存会の会長らしき人物が真木の中ほどにある「天王座」に、古事記による夜を支配するという月 読尊の御神体を取り付けたのち、鉾は本体に立つ音頭取りの掛け声とともにゆっくりと立ち上がってゆくと、御神 体も真木とともに空に向かって地上を…

7月11日鉾建て 月鉾その1

函谷鉾から少し西に行ったところにある月鉾。 月鉾は文献によると、応仁の乱以前よりあり、その昔は「かつら 男ほく(ほこ)」と呼ばれていた。鉾頭に18金の三日月をいただき、天王座には“月読尊”を祀っていることから、 その後「月鉾」と呼ばれるようになっ…

7月11日鉾建て 菊水鉾その2

鉾建ての現場に置かれた真木と真木に取り付けられる穢れを払う榊(さかき)。金色に輝き真木の先端の鉾頭に 取り付けられた透かし彫りの菊花も地上で見ると思いの外大きい。鉾の骨組が完成すると真木を取り付けるた めいったん鉾を横倒しにする。その様子も…

7月11日鉾建て 菊水鉾その1

函谷鉾の近く、四条室町通を北に向かった鉾町にある鉾が菊水鉾。菊水鉾は町内に古くからあった井戸、菊水 井にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけている。元治元年(1864)の蛤御門の変で焼 失したが昭和27年、88年ぶりに再興され、28…

7月11日鉾建て 函谷鉾その2

巨大な鉾の組み立ては釘一本使わずすべて荒縄だけで組み上げる。4本柱、貫、筋交いなどが組まれ、接合部 を縄で巻いて仕上げることにより、巡行中の揺れや軋みによる部材の破壊を守っている。この縄絡みの補強の 飾り結びをその形状によって「雄蝶」「雌蝶」…

7月11日鉾建て 函谷鉾その1

四条烏丸の東にある長刀鉾を見て頭を西に向けると眼に飛び込んでくるのが函谷鉾の雄姿である。鉾の名は 中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで付けられ ている。現在の鉾は天保10年(1839)に再建さ…

7月11日鉾建て 長刀鉾

暑い京都にまた祇園祭がやってきた。毎年写真を撮りに出かけて、同じような写真をこのブログに掲載してもう 10年以上になるが、京都に生まれ育った自分としてはこの時期は毎日何となく落ち着かず、結局カメラを肩に京 都を訪れる。祇園祭は毎年同じような風…