2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧
広い通りを通っていたときは手持ち無沙汰だった屋根方も狭い通りに入るといよいよ本領発起だ。町家の軒や 電線に触れんばかりに通過してゆく鉾の屋根から身を乗り出すようにして、場合によっては障害物に足をかけて 衝突を防ぎ、鉾と障害物の距離を測りなが…
車輪をスムーズに横滑りさせる車方と鉾を引っ張る曳き方が音頭方の音頭により息を合わせて鉾を一気に動か す。
辻回しは車方の見せ場だ。いかに効率よく鉾を転回するか、その受け継がれてきた技術が問われる。危険と隣 り合わせの作業だが、過去一度も事故はないという。
豪華な蝶蜻蛉の冠と金烏帽子を身に付けたお稚児さんは朱傘の下、凛々しい顔つきで進むがテレビ局のインタ ビューを受けると、祭の間中八坂神社から大名(正五位少将十万石)の位を授かっていた地位から、現代子の 表情に戻り、かわいい笑顔を浮かべて質問に…
te 長刀鉾に梯子が架けられ、補佐役である二人の禿(かむろ)が降りたあと、強力の肩に担がれてお稚児さんが 降りてくる。梯子段の途中できりっとポーズを決めると周囲からどよめきと拍手が沸き起こった。 お稚児さんは、祇園祭の生神(いきがみ)様。古式に…
7月17日、祇園祭のハイライトである山鉾の巡行日である。連日の記録的な猛暑にも関わらず大勢の見物客が 早朝から場所取りをしていた。今年は烏丸御池から少し西に行った御池通りと新町通りの交差点西南角近くで 山鉾の到着を待つことにした。山鉾の巡行は四…
四条通りから眺めた宵々々山の風景・・・
辺りが次第に暗くなるにつけ、菊水鉾と月鉾の駒形提灯は輝きを増してゆく。
山鉾の前後に取り付けられた駒形提灯に灯が入ると雰囲気は一段と盛り上がり、見物客の浴衣姿が艶やかに 浮かび上る。最初の4枚の写真が鶏鉾、後の写真が放下鉾である。
7月10日の祇園祭の神輿洗いで八坂神社の舞殿に飾られた三基の神輿。7月17日山鉾巡行日の夜、八坂神社 の石段下にて三社神輿の差し上げが行なわれた後、それぞれの神輿は氏子区域内を巡行し、21時頃より相次 いで四条御旅所に着輿し、以降24日まで御旅所に留…
照りつける夏の強い日差しに店の前に吊るされた幔幕や暖簾はそよぎともしない、暑い京の夏・・・
7月14日、16日の宵山の2日前を宵々々山と呼ぶ。宵山も宵々山も年々見物客が増えてきたから、宵々々山あ たりはまだ人出も少なくゆっくりと見物することができる。(写真は長刀鉾)
四条大橋での神輿洗の様子 (2010年7月10日撮影) 楼門の前に鎮座していた中御座の神輿は前後を松明に守られ、八坂神社を出て神輿洗のため四条通りを四条 大橋まで練り歩き、四条大橋で、神輿の差し上げや差しまわしが行われた後に清めの儀式が行われる。
汗に光る若衆たちのたくましい腕が神輿を支える・・・ この後神輿洗いを見るため四条大橋まで神輿についてゆく予定であったが体力に限界を感じ、帰路につく。 次に以前写した神輿洗いの写真を掲載してお詫びに代えます。
7月いっぱいかけ多くの神事が行われる祇園祭であるが、最も重要な行事とされるのが神輿にのった神様が市 中を清めて回る「神輿渡御」である。三基の神輿にのる神様は、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(スサノヲノミ コト)と、櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコ…
白川に架かる行者橋に腰掛けて京都観光を満喫する外人観光客の姿、不作法といっていいのか・・・盛夏東山 の風景…
騎乗姿も凛々しい若武者たち
厳しい夏の西日が射す四条通を西に向かう行列 八坂神社(16:30)-石段下-四条通西-河原町通北-本能寺(17:30-18:30 舞踊奉納)-寺町通南-御旅 所-四条通東-円山公園-石段下にて神輿洗の神輿を迎える-東大路南-神幸道東-八坂神社(20:30)-…
近年外人観光客が増えた錦市場もその賑わいは昔と変わらない・・・ 錦市場ー錦市場(にしき いちば)は、京都市中京区のほぼ中央に位置する錦小路通のうち、「寺町通 - 高倉通」 間に存在する食品販売中心の商店街である。魚、京野菜といった生鮮食材のほか…
行列開始を待つ子供たち・・・
少女たちは隊列を組み、凛々しい若武者たちは馬に騎乗して行列の出発場所に向かう。
八坂神社の裏手の社務所で準備を終えた可愛い少女たちが通りに出てきた。世話をする母親達は汗だくだ。 健気な表情を浮かべた少女たちも汗まみれ・・・
お迎え提灯行列とは「神輿洗」の神輿を迎えるため、万灯会員有志が提灯を立て、八坂神社周辺地域を巡行す る行列をいう。その行列を見るため八坂神社に向かう。八坂神社の裏手の円山公園で行列に参加する馬が草を 食んでいた。
寺町通りをさらに南(四条通りへ)に向かい錦天満宮を左に見て錦通りを右折。
函谷函からもう少し西に行った四条通りの南側にあるのが月鉾である。 月鉾は、文献によると、応仁の乱以前よりあり、その昔は「かつら男ほく(ほこ)」と呼ばれていた。鉾頭に“新月” をいただき、天王座には“月読尊”を祀っていることから、その後“月鉾”と呼…
長刀鉾の鉾建てを見て烏丸通りを西に渡ると、函谷鉾の鉾建てが目に入る。 鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで 付けられている。継承されてきた釘一歩使わずに荒縄だけで鉾を建ててゆく伝…
三条寺町にある矢田寺は、白鳳4(700)年に天武・持統両天皇の勅願所として、奈良・大和郡山市にある矢田寺 の別院として、建立された。もともとは壬生にあったが、安土桃山時代の豊臣秀吉による区画整理で、本能寺も 同じ時期に三条河原町に移されたという…
祇園祭は7月の一か月間を要する祭りである。その前半の7月10日には山鉾建てが始まる。まず長刀鉾の組み 建ての様子である。この日はまだ鉾の形まではいかない。骨組の組み建てである。 長刀鉾は鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病…
7月恒例の祇園祭が例年のない酷暑の京の町で行われている。7月10日の日、鉾建てとお迎え提灯行列の写 真を撮るため厳しい暑さを覚悟して出掛けた。地下鉄の市役所前で下車して寺町通りの夏の風景を撮りながら 南下。いろいろな老舗や古書店が立ち並ぶ寺町通…
高校野球の春夏の全国大会でも時折校名を見る比叡山高校は進学校としても有名で文武両道に秀でた高校学 校である。傳教大師として広く知られる最澄の生誕地である生源寺の境内もひっそりと静まり返っていた。最澄 は中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山…