京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

坂本城址公園の春その1

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2007年の冬の夕方来て以来、久しぶりに大津市下坂本にある坂本城址公園に出掛けた。

今は坂本城を建てた戦国の武将、明智光秀の彫像と坂本城址と彫られた石碑があるのみである。

坂本城は、琵琶湖の南湖西側にあり、大津市の北郊に位置する。西側には比叡山の山脈があり、東側は琵琶

湖に面していることから、天然の要害を具えた地であった。比叡山近江国山城国にまたがっており、白鳥道

と山中道の2つの道は両国を結ぶ道路が通じており、中世、近世において頻繁に利用され、比叡山の物資輸送

のために港町として、坂本は交通の要所として繁栄していた。現在城郭の大半は宅地化され、推定地の中央に

は国道161号が貫通している。

1571年(元亀2年)、比叡山焼き討ちの後、明智光秀近江国滋賀郡が与えられ、織田信長の命によって京と比

叡山の抑えとして築城した。宣教師のルイス・フロイスは著書『日本史』にて豪壮華麗で安土城に次ぐ名城と記し

ている。

2020年にNHKの大河ドラマ明智光秀を主人公とした戦国ドラマ「麒麟がくる」が放映される。

明智 光秀は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。戦国大名織田信長に見出されて重臣に取

り立てられるが、本能寺の変を起こして主君を自害させた。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の

戦いで敗れる。一説では、落ちていく途中、小栗栖において落ち武者狩りで殺害されたとも致命傷を受けて自害

したともされる。これは光秀が信長を討って天下人になってからわずか13日後のことであり、その短い治世を「三

日天下」ともいう。

今までの織田信長豊臣秀吉を主人公とした大河ドラマでは常に明智光秀は脇役として登場したが今回は主

役として描かれる。本能寺の変に至るまでの今までの定説を覆すような新しい視点からの明智光秀像を期待し

たい。