鯖(若狭)街道のかつての難所、花折峠は現在は花折トンネルが京都から若狭まで連綿と続く山塊の一部を貫
き難所といえないまでも、トンネルを抜けた途端、車窓に飛び込んでくる山塊の眺めは、やはり難所といってい
えるシキミを峠付近で摘んだことが名称の由来となった。国道367号は「花折トンネル」(標高500m)で貫いており
峠の交通を成している。このほか、旧道となった峠道(標高591m)も現存しており、長距離自然歩道のひとつで
もなっている。
鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは徒歩で京都に運ばれた。生サバを塩でしめ
て京都まで運ぶとちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている。夏期は運び手が
多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少なかったといわれる。しかし、冬に花折峠を越えて運ばれた
鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている。運び人の中には冬の峠越えのさなかに命
県明日香村の都の跡で発掘された木簡からは、若狭からタイの寿司など10種類ほどの海産物が運ばれたと推
宮跡から出土した木簡には塩の荷札が多数見つかり、鯖街道を利用して塩も多く運ばれたとみられている。