湖北の湖周道路を北上、湖北みずどりステーションを過ぎてすぐに尾上温泉の建物を左に見ながら道路は大き
く右にカーブして、道路は琵琶湖が北の山塊の麓を大きく侵食して造成した湾に沿って伸びている。対岸には琵
琶湖の最北端の山々が遠望され、もっとも湖北の雰囲気が濃厚な眺めである。さらに道路に沿って走ると目の
賤ヶ岳から南へ続く山系の南端に位置するちょうどお椀を伏せたような形の山で、その山頂の山本山城は湖北
攻撃したことが記されている。源氏の旗揚げとともに、平家打倒の挙兵をし、木曽義仲の上洛を助けるが、義仲
の滅亡とともに没落。その後は歴史のながれに翻弄されるように、浅井氏の支城として阿閉氏の居城となり、木
下藤吉郎に攻められて織田方となり、「山崎の合戦」時は明智方となり、その戦いに敗れると城は遂に落ち、廃
城となったという。
その山本山の麓を更に走るとトンネルに入る。片山トンネルという。この湾の周囲は東北にある賤ヶ岳から南へ
続く山系に取り巻かれたようになっていて厳しい地勢の湖岸が続き、このトンネルだけが湖岸からの、余呉湖に
は一変する。雪の積雪量が多いのである。北国街道の延びる北の山塊の山間いを吹き抜けてきた、日本海の
湿気をたっぷり含んだ北風が高月町の狭い田園地帯に出て、賤ヶ岳山系にぶつかり大雪を降らすのであろう
へ2kmと迫るが、賤ヶ岳をはじめとする山地に遮られ、そのまま南へ流れる。旧・湖北町で西へ転じて琵琶湖に
注ぐ。
賤ヶ岳山系の麓の村落は眠ったように深い雪の中にあった。北国街道の余呉町柳ヶ瀬あたりの積雪は3メートル
に及ぶという。