京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

山科隋心院はねず踊りその1

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隨心院(ずいしんいん・ずいしんにん)は京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の仏教寺院。小野流
 
の開祖として知られる仁海(にんがい)の開基。本尊は如意輪観音。当寺の位置する小野地区は、小野氏の根
 
拠地とされ、隨心院は小野小町ゆかりの寺としても知られる。小野小町は宮中で仁明天皇に仕え、歌人として知
 
られた女性で宮中を退いて後も過ごしたとされる。隨心院には小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め文
 
塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡が残る。毎年3月にここ随心院で行われる行事「はねず踊り」を今回見る機
 
会を得、雨模様を気にしながら出かけたのであった。
 
薄紅色のことを古くは「はねず」といい、 薄紅色の梅も「はねず」と呼ばれていた。特にここ隨心院門跡の紅梅は
 
古くからこの名で親しまれていた。 昔、深草少将がこの地に住まっていた小野小町を慕うあまりに、百夜通いの
 
悲願を込めて通い続けたにもかかわらず、降る雪と発病により九十九日目の夜に最後の一日を残して世を
 
たという伝説があり、その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃を老いの身も忘れたように里の子供たちと楽しい
 
日々を過ごしたといい、「はねず踊り」は、この隨心院に伝わる小野小町の伝説を主題としたものであるが、これ
 
がいつの頃から歌われ踊られたかを知る由もないが、今から五十余年も前の隨心院の「はねず」が衰えはじめ
 
る頃までは毎年「はねず」の咲く頃に、里の子たちが家々を訪ねて門内の庭で踊っていたいう。隨心院の「はね
 
ず」が見事によみがえった昭和48年の春、はねず踊りの復活を願う土地の人々の声にこたえて、古老の記憶を
 
たどりながら、五十年前の曲と振りとを再生させようと作曲家や舞踊家の協力を得て復活させたもので、以後
 
「はねず踊り」は随心院のそばの梅の名勝小野梅園ではねずと呼ばれる薄紅色梅が開花するこの時期に行わ
 
れるようになった。「はねず踊り」は例年屋外の特設舞台で行われるが。今年は雨天であり、本堂の前の縁側で
 
行われた。