京都東山にある東山ドライブウェー、その道路の途中に「将軍塚」とよばれる場所がある。将軍塚の由来は以下
の通り。
を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられた。これが、この地を「将軍
は太平洋戦争にここは高射砲の陣地にもなった。
小学生の低学年の頃この将軍塚に遠足で来たことがあり、塚の前で撮った記念写真が残っている。そのときの
印象は何も無いところに塚だけがあったように記憶している。その後ドライブウェーが出来て、広い駐車場が出
来て、駐車場のそばに展望台が出来た。上の写真はその展望台から撮った京都の街並みである。将軍塚はそ
ろにあると思っていた将軍塚が実は大日堂の境内にあったことは今回来てみて初めて知った。その将軍塚に行
くには入場料を払わなければ行けない。将軍塚を見るのではなく、京都の街並みを見たかったのが目的だった
から境内には入らなかった。だが将軍塚からの眺めのほうが素晴らしいと後日知ったが駐車場の展望台からの
本願寺の右手の街の一角でわたしは生まれ育った。遠足のときに見た街並みは京都らしい町家の甍が続いて
いたのだけれどいまはビルばかりで京都らしい風情はすっかり無くなってしまった。だが1200年前桓武天皇が目
にした眺めはどんな眺めだったのだろう。おそらく山紫水明、緑豊かな京都盆地だったに違いない。