久しぶりに秋らしい好天に恵まれた今月の10日、敦賀方面に車を走らせた。
た。いまは金ヶ崎公園として整備されている。駐車場から金ヶ崎山の麓にある金崎宮に向かう。駐車場から出て
江戸を出発し、大垣を立つ9月までの約160日間、現在の関東・東北・北陸・東海の1都12県にわたる旅について
は句碑が10以上存在しているという。「おくのほそ道」には、敦賀の後の足取りの記述はなく、一気に最終目的
地・大垣へと向かい完結する。そのため、敦賀は「おくのほそ道」の事実上の終焉の地でもあるといわれている。
この鐘塚に刻まれている句「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」も「おくのほそ道」に載っていない句であるが、芭蕉は
「沈鐘伝説」という話を宿のあるじから聞いて・・この句を詠んだという。「沈鐘伝説」とは南北朝時代の延元元年
入った。しかし、足利軍との戦いに破れ、義貞の子で大将の義顕は陣鐘を海に沈めた。のちに国守が海に海士
を入れて探らせたが、陣鐘は逆さに沈み、龍頭(梁に吊るすために釣鐘の頭部に設けた竜の頭の形にしたもの)
が海底の泥に埋まって、引き上げることができなかったという伝説である。
その鐘塚を左に見てしばらく歩くと見えてきたのが金崎宮の鳥居である。金崎宮は「沈鐘伝説」の恒良親王、尊
左側の金ヶ崎城址に向かう登り道に向かう。