山門の脇で早咲きの枝垂れ桜が美しく咲き、山科盆地が見渡せる大石良雄隠棲跡にも枝垂れ桜が大きく枝を広げていた。寺域には大石良雄の遺髪塚がある。大石良雄は赤穂城退去後、赤穂藩士で山科出身の進藤源四郎の縁故によりここに家屋を建て、永住を装ったとされる。祇園や伏見で遊行にふけって世間の目を欺きながら、いよいよ仇討ちのために江戸へ出発するまでの1年余り、山科を一望できるこの景勝の地に過ごした。大石良雄は討ち入りが成功した後に邸宅、田畑等のすべてを岩屋寺に寄進したという。
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