京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

京都二条陣屋・神泉苑その2

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二条城の南側に位置する神泉苑は、平安京の造営の際、大内裏の東南に広がっていた自然の森や池を利用し

てつくられた名苑であった。その規模は現在の神泉苑の約10倍だったという。当時は帝の納涼や舟遊びなどの

行事・遊宴が盛んに行われ、日本で初めて花見の宴が催された場所でもあったと伝わる。

この神泉苑には昔から、ある噂が囁かれていた。龍穴(りゅうけつ)があるという。その穴は異界に通じて大地の

気が溢れ出し、池の水は日照りでも涸れることがない。都人はこの池の様子を見、龍神の棲み処だと考えた。

そして、それを裏付ける伝説が残っている。嵯峨天皇(在位809~823年)の御代、京都はひどい干ばつに見舞わ

れた。そこで雨乞いをすることになり、白羽の矢が立ったのが、東寺の空海弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)

僧都だった。僧侶たちは法力で雨乞い対決をした。

先に守敏が祈祷するが、雨は大地を潤すほどには降らなかった。次に空海が祈祷する。だが、守敏僧都が呪法

龍神たちを水瓶に閉じ込め、邪魔をした。唯一、北天竺(インド北部)の善女龍王のみが守敏の呪法を免れて

いたのを空海が見抜いて勧請すると、水瓶は壊れ、善女龍王は金色の龍となって天に昇り、たちまち雨を降らせ

て都を救った。以来、神泉苑東寺の僧侶たちの道場として雨乞い修行の中心地となったという。