京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

宵山風景その2

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函谷鉾
      
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        月鉾              
 
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函谷鉾(かんこぼこ)は、四条通烏丸西入ル函谷鉾町の鉾で応仁の乱1467~1477)以前に起源をもち、くじ取ら
 
ずの鉾として、鉾では長刀鉾に次いで第二番目に巡行し鉾櫓、屋根の規模は大きい方である。鉾の名は中国戦
 
国時代(前403~221)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて関門を開かせ難を逃
 
れたと言う故事にちなんでつけられている。
 
月鉾(つきほこ)はその重さは約12トンで32基の中では最重量を誇る。また山鉾の中では高さも一番高い。真木
 
(しんぎ)と言われる鉾から伸びている棒のてっぺんに輝くのは大きなお月様でこの月鉾は月読尊(つくよみのみ
 
こと)を祀っている。この月読尊は「月」を神格化した神様の事であり、ちなみにこの神様のお姉さんは天照大神
 
(あまてらすおおみかみ)で、太陽を神格化した神様である。
 
日本の三大祭の一つに挙げられる祇園祭は、毎年7月1日から31日までの1カ月間、京都市内の中心部や八坂
 
神社(東山区)で行われる。クライマックスとなる山鉾巡行神幸祭(いずれも17日)をはじめ、多彩な祭事が繰り
 
広げられる。平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、
 
当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて災厄が取り除かれるよう祈っ
 
たことが始まりとされる。
 
応仁の乱(1467-77年)で祭りは途絶えたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興された。以後、中国やペルシ
 
ャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになった。これらの懸装品の豪華さゆえ
 
に、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれる。江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現
 
代まで守られている。現在、巡行に参加している鉾は9基、山は23基である。