京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

京都二条陣屋・神泉苑その1

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京都に所要あり、二条城の南にある二条陣屋と神泉苑に立ち寄ってみた。

見学に入場した二条陣屋は内部が撮影禁止のため内部の様子を紹介できないのは残念であるが、二条陣屋は

伝統的建造物(町家)として建築物3棟と土地が国の重要文化財に指定されている(指定名称は「小川家住宅」)

当住宅は、二条城の南方、洛中の西のはずれに近い、大宮通御池下る三坊大宮町にあり、大宮通の西側に屋

敷地がある。屋敷地は表間口16メートル余、裏間口40メートル余、奥行40メートルで、表間口に比して裏間口と

奥行が大きく、京の町屋の中でも最大級の規模を有する。主屋は木造2階建(一部3階)、桟瓦葺き。商家である

とともに、大名の宿泊所である公事宿(くじやど)を兼ねた特異な住宅である。外観上の特色は、防火のため外

面をすべて漆喰で塗籠めとし、窓も虫籠窓(むしこまど)しか開けないことで、一般の京町屋とは異なった外観と

なっている。建立年代については、天明8年(1788年)の大火以後、18世紀末頃と推定される。住宅の居住者で

ある小川家の出自については、通説では伊予今治城主の小川祐忠(土佐守)の末裔であるとされる。祐忠は豊

臣秀吉の没後、武士をやめて近江高島郡今津に住んでいたが、その子の千橘(せんきつ)が、寛文10年(1670

年)に伯父を頼って上洛し、萬屋よろずや)平右衛門を名乗って米両替商を営んだという。その後、7代目平右

衛門の時から薬種商を兼業したという。二条城に近いこの界隈には町奉行所、京都所司代などの役所が所在し

たことから、小川家ではいつの頃からか、これらの役所を訪れる諸国の大名などを宿泊させるようになり、「陣

屋」の称が生じたという。

また二条陣屋の近くにある「神泉苑」は、東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音不動明王弘法大師。二条城の南

に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。もともとここにあった古京

都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備したものと考えられ、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北

約500メートル、東西約240メートルに及ぶ、池を中心とした大庭園であった。 史料に初めてその名が見られるの

は『日本紀略』の記事であり、延暦19年7月19日(800年8月12日)、桓武天皇行幸したという内容である。延暦2

1年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。