2014-03-06 東海道亀山城址 街道をゆく #写真 亀山城は伊勢国鈴鹿郡亀山(現在の三重県亀山市本丸町)にあった城。丘陵の上に建ち、白壁の櫓・門・土塀 などを連ねる景観が蝶の群れとなって舞う姿にたとえられ、別名を粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)とも 呼ばれた優美な城であったという。1265年(文永2年)に関実忠によって若山(現在の三重県亀山市若山町)に 築城され、その後現在の位置に移された。1567年(永禄10年)の織田信長の伊勢進攻以降は、たびたび戦場と なった。1590年(天正18年)に豊臣秀吉に従った岡本宗憲が入城後、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後 の亀山城の母体となる城が形成されたとされる。江戸時代においては、亀山城は伊勢亀山藩の藩主の居城と なった。またこの時期の亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸 を休泊に利用している。明治維新以降は、1873年(明治6年)のいわゆる廃城令によって、殆どの構造物が取り 壊された。このため現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残るに過ぎない。