近江鉄道水ロ城南駅の北約150mのところにある城址。江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛の際の宿館として築城された後、水ロ藩2万5千石の居城となり、湧水を利用した薬研堀(やげんぼり)に水をたたえていたことから「碧水城(へきすいじょう)」の別名がある。明治維新後、水ロ城は廃城となり公売に付され、角櫓(すみやぐら)が付近の商家に売却されたり、石垣の一部が近江鉄道の敷石になるなど建物や石垣の大半が処分された。旧本丸は学校敷地となり、運動場として利用されてきたが、昭和47年将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、滋賀県の史跡に指定されたのを機会に、郷土のシンボルとしての保存整備への関心が高まった。
また、平成3年11月に水口城資料を展観する施設として、往時の矢倉の姿を模した水口城資料館が開館されている。