綿向神社。正式には馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)という。 日野町 の東北、町のはずれにあ
る。当神社の起りは近江国の東方に連なる鈴鹿山脈の南端に、気高く聳える霊峰『綿向山』の頂上に、神武天
皇の御宇、出雲国の開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(西暦545年)その頂上に祠を建てたのが始りと伝え
る。その後、平安時代の初期延暦15年(796年)に里宮として現在の地に遷し祀られたという。以来延喜式神名
帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の大宮として、何時の時代も当地の産土神と人々の信仰の中心と
庇護し、更に江戸時代に全国に名をはせた近江商人の内の日野商人達の巨万の財力に支えられて出世開運
の神として崇敬が集められ、明冶 9年郷社に、同42年県社に列せられた。そして今の世も氏子人等の心の拠り
処と崇め親しまれている。
その始めを嘉応2年(1170年)とする春季例大祭(5月2・3・4日)は日野祭と称し、3人の神稚児や3社の神輿、1
6基の曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の無形文化財に指
定されている。なほ、綿向山山頂(標高1110米)に祀る奥之宮(大嵩神社)は古来より20年毎に社殿を建て替え
る式年遷宮の祭事が、今も絶えることなく続けられている。