です。霊峰・綿向山を東に望む日野町である。この地に人が住み始めたのは古く、今から約1万2千年前と言わ
大きく変貌を遂げ、歴史の表舞台に登場。町の繁栄の基礎を築いた蒲生氏は400年以上この地を治め、商工業
の保護・育成に努力、鉄砲や鞍などを特産品として生み出してきた。江戸時代に入って、漆器や薬売りの行商か
ら発展した日野の商人は近江商人の基礎を確立、その中心の町として繁栄、全国各地に商圏を伸ばす近江日
野商人として名をとどろかせた。天秤棒一本の行商から始めて財をなし、千両の富を得てもなお天秤棒を肩に
行商に出たことから近江の千両天秤と呼ぶようになった。近江商人の中でも、ここ日野地方出身の商人を日野
商人と呼び、他の近江商人と比べ出店数においては群を抜いていた。しかし大店といわれるものが少なく、千両
もたまれば新しい店を出すといわれるくらい小型店の拡張が多く、このことから日野の千両店という名称が生ま
れた。
初冬の日野町の町を歩く。静かな町でかつての面影はそこかしこに残された町並みでしか見ることは出来ない。
初冬の日野町の町を歩く。静かな町でかつての面影はそこかしこに残された町並みでしか見ることは出来ない。
だが落ち着いたいい町である。