京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

晩夏安土城址

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安土城は、織田信長によって、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)に建造され、大
 
型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた。(
 
期に干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れている。1582年天正10年)、家臣明智光秀
 
よる信長への謀反(いわゆる本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城と
 
なり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみとなっている。城郭遺構は安土山の全体に分布してお
 
り、当時の建築物では仁王門と三重塔が、現在 城山の中腹に所在する摠見寺の境内に残っている。
 
また二の丸には信長の霊廟が置かれている。滋賀県1989年(平成元年)から20年計画で安土城
 
発掘調査を行ない、南山麓から本丸へ続く大手道、通路に接して築造された伝羽柴秀吉邸や伝前田利
 
邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる内裏清涼殿を模った本丸御殿などの当時の状況が明ら
 
かとなりつつあり、併せて石段・石垣が修復工事されてきた。
 
この日安土城址に着いたのが午後の遅い時間だったため、安土山の天主閣跡まで登る時間がなく、残
 
念ながら城址の周辺を散策するに止まった。天主閣跡まで登ったときの写真はかつて当ブログに掲載し
 
たことはある。
 
写真は山麓の石組み、壮大な城郭を想像させる本丸へ続く大手道の石段、信長時代に最も使用されてい
 
た百々橋(どどばし)口道への入り口、その前に架かる百々橋。以前はこの登り口から摠見寺を経て天
 
主閣跡まで登ることができたが現在は入山禁止で大手道からのみ有料で入山できる。