型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた。(昭
よる信長への謀反(いわゆる本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城と
なり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみとなっている。城郭遺構は安土山の全体に分布してお
り、当時の建築物では仁王門と三重塔が、現在 城山の中腹に所在する摠見寺の境内に残っている。
かとなりつつあり、併せて石段・石垣が修復工事されてきた。
この日安土城址に着いたのが午後の遅い時間だったため、安土山の天主閣跡まで登る時間がなく、残
念ながら城址の周辺を散策するに止まった。天主閣跡まで登ったときの写真はかつて当ブログに掲載し
たことはある。
写真は山麓の石組み、壮大な城郭を想像させる本丸へ続く大手道の石段、信長時代に最も使用されてい
た百々橋(どどばし)口道への入り口、その前に架かる百々橋。以前はこの登り口から摠見寺を経て天
主閣跡まで登ることができたが現在は入山禁止で大手道からのみ有料で入山できる。