近江地方から算出する米を江州米(ごうしゅうまい)という。近江米とも呼ぶ。豊穣な近江平野は京都や大阪の大
消費地に近く昔から米の産地であった。琵琶湖にはかつて数多くの内湖がありそこを埋め立てれば耕地を増や
すことができたのである。琵琶湖でも湖西は比叡山や比良山系の山裾が湖岸近くまで張り出しており、農地面
積は少ないが一方湖東は湖南から湖北まで肥沃な農地が広がっている。当然のことながら毎年の米の収穫は
農民の最大の関心ごとであり、取れ高の大小は暮らし向きに大きく影響する。だから田植えの時にはその年の
豊作を神に祈って田植えをする。だからこの時期近江ではいろいろな場所で「お田植え祭」が行われている。こ
の太郎坊山の山裾に広がる田んぼでも太郎坊宮の神様に豊作を祈る「お田植え祭」がこの写真を撮りにいった
4日後に行われるとのことであり、すでに会場の準備が万端整っていた。太郎坊宮を見上げる場所には鳥居の
立った水田があり、この水田で「お田植え祭」は行われる。当日予定が入っていなければ「お田植え祭」を見に来
たかったのだがせめて祭の雰囲気の匂いだけでも嗅いでみたくなり、水田の周囲をしばらく徘徊してみと、農民
が自然の恵みと神様の慈しみに感謝しつつ生きている証が辺りに漂っているような心地がするのであった。