西神苑の花菖蒲。咲き初めであと4,5日もすると花の数はもっと増えるという。だが咲く花の少ない今の方がかえ
って風情がある。杜若(カキツバタ)が咲き終わると花菖蒲の時期となる。開花時期は、6/1頃~ 6/25頃で 梅雨の
頃の代表的な花の一つ。 野生の「野花菖蒲(のはなしょうぶ)」を 原種として改良された、国産の園芸植物。 葉
が菖蒲に似ていて美しい花が咲くことから「花菖蒲」と呼ぶ。 500年くらいの栽培の歴史があるという。花言葉は
花菖蒲の栽培は,一般には江戸中期に本格的に始まったとされ,江戸の最盛期には400に近い品種
が育成され,江戸(東京)や伊勢(三重県松坂),肥後(熊本)などで発展したという。花菖蒲の品種は、
改良されてきた地域にちなんで江戸系、伊勢系、肥後系に分けられる。江戸系花菖蒲は主に花菖蒲園
に植えて群生の美しさを観賞してきた系統なので風雨に強く草丈も高いものが多いのが特徴という。
肥後系は大輪で堂々とした風格に特徴がある。本来は室内観賞を目的として改良されてきた系統で大
輪で花弁は広く重くなり、ゆったりと垂れて咲き、豪華で洗練されているという。伊勢系は草丈は3系統
中最も低く、葉と花茎の高さはほぼ同じである。男性的な肥後系に対して、花は優美で女性的な感じを
受けるものが多く見られるという。だからこの西神苑の花菖蒲は江戸系ということになる。
江戸時代花菖蒲の品種改良というのは武士の趣味とか嗜みであったらしく、大身の旗本の殿様は花菖
蒲の品種で他の旗本と競い合ったという。たかが花ごときにと思われるが、『尚武』という武士の言葉が
ある。武術を修練し攻防技術に通じ、心身を強健にし力と勇気をたずさえる事を指す。この尚武が『菖
の節句は、時代を経て武士の間で男の子の祝いとして大切な行事になったのだという。その後、江戸時
代に町人の間で武家のまねをするようになり、現在の形になったといわれている。そういえば内風呂の
無かった時代、この時期銭湯は菖蒲湯で大きな風呂に菖蒲があちこちに浮かんでいて、その束にまた
がって遊んだものであった。現在内風呂でも菖蒲湯を沸かす家庭はあるのだろうか。因みに小生のとこ
ろは娘ばかりだから菖蒲湯を沸かしたことは無かったように思う。