鎌倉、
室町時代に栄えた。江戸時代に入ると、「守山宿」と「武佐宿」の間の宿(あいのしゅく)となってしまい、宿
場の指定から外されてしまったが本陣、
脇本陣も置かれ、特に
紀州侯の定宿で、皇族、将軍家の名代をはじめ
多くの武士や旅人の休憩の宿場町としての役目を果たしてきた。鏡神社は
南北朝時代の建築で「
日本書紀」に
も記されている
朝鮮半島の
新羅から陶製技術(渡来文化)を伝えた天日槍(あめのひぼこ)を祀る神社。本殿は
三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)の、こけら葺(ぶき)で国の
重要文化財に指定されている。また鏡宿の
向かう途中、鏡宿(
白木屋)に泊まった際、前髪を落として
元服したと伝えられる池で源九郎
義経と名乗ったのが
16歳であったと伝えられている。
元服を終えた源九郎
義経はただ一人でこの鏡神社に参拝したという。
元服の
日は承安4年(1174年)3月3日は
新暦では3/24頃〜4/22頃とであり、参拝した日も写真のようにさくらが満開だっ
たかもしれない。