2011-02-09 瀬田川河口付近その1(膳所公園) 冬 #写真 膳所城址にある膳所公園は琵琶湖から唯一流れ出る川ね瀬田川の河口付近にある。瀬田川の西岸にあり、こ こから眺める瀬田川、琵琶湖の眺めはまた違った趣がある。 膳所城は大津市街の東部に位置し、膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、日本三 大湖城の一つに数えられ、また大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つである。陸続きの部分に 三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった。本丸には4重4階の天守が 上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた。 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった徳川家康は、翌、慶長6年(1601年)東海道の 押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた。膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江 戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第1号である。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。 湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれた。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田 の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる。