京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

山車(だし)の組合せ(けんか)その1

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毎年3月に湖国近江に春を告げる左義長まつりが滋賀県近江八幡で行われる。
 
近江八幡左義長は元来、安土城下で行われていたもので、城主であった織田信長自らも踊り出たと伝えられ
 
ている。織田信長亡き後、八幡城下に移住してきた人々は、既に4月に行われていた八幡まつりに参加を申し入
 
れたが、松明の奉火場所が無く、また新参とのことで断られたため、これに対して、安土で行われていた左義長
 
まつりを始めたことが起源とされているとも伝えられている。近年の左義長まつりには、旧城下町の各町から13
 
基の山車が奉納されているが、山車(左義長)は松明、だし、十二月(赤紙)の3つの部分を一本(基)にし、前後に
 
棒を通し、つり縄で括り固め御輿のように担ぐように作り上げる(これ全体を左義長と呼ぶ)。前方となる正面に
 
「だし」と呼ぶ作り物は意匠を凝らし、時間をかけ経費を惜しまず各町の誇りをかけて制作される。
 
左義長の担い手は踊子(おどりこ)と呼ばれ、その服装は、揃いの半纏を羽織る姿が一般的である。近年は少数
 
になりつつあるが、女物の長襦袢を着用したり、化粧をするなど、変装した格好で左義長まつりへ参加するもの
 
も少なくはない。これには、諸説あるが、織田信長が自らの正体を隠すために派手な出で立ちで参加したとの話
 
を、近世の人々が変装するものと解釈したのではないかと言われている。
 
左義長を担ぐ人々は口々に「チョウヤレ・チョウヤレ」と「マッセ・マッセ」と声を発っする。前者は「左義長さしあ
 
げ」、後者は「左義長めしませ」からこのような掛け声になったものと思われる。
 
祭りの最終日、各町内の左義長は町内を練り歩き、他の町内の左義長と組合わせて(けんかして)互いの左義長
 
を倒そうとして争う。午後8時から日牟礼神社の前で左義長は順次奉火され、最後の左義長が燃えるまで、祭は
 
夜遅くまで続く。