日吉大社から
西教寺に向かう山裾の道路をしばらく走ると、左手に「八講堂千体仏地蔵」への案内板が目に
入った。案内に沿って左折し、細い坂道を登ってゆくと「千体仏地蔵」があった。
比叡山延暦寺に残る「山門堂舎
記によると、八講堂は叡麓、
日吉社の北に建立されたとあり、
比叡山の山字名に「八講堂」という谷があり、寺
屋敷が残っている。山下における
論議法要の中心的で重要なお堂であったのであろう。八講堂跡から紅染寺跡
にかけての広範囲にわたり無数の
地蔵尊が散在している。
比叡山が修行の山で、一般の人の参詣に制限が
あったので、せめて
山麓で日夜
論議法要の梵音の聞こえる処に小さな造像を祀って成仏を祈ったのであろう。
近世、田畑を耕作するのに際し、入鍬ごとに
地蔵尊が出てきたので、誰言うことはなしにここに集められたのが
千体仏地蔵である。」-案内板から転記。
千体仏地蔵は少し小高い場所にあり、琵琶湖がよく見える。やや西に傾いた秋の陽射しに千体仏地蔵が明るく
輝いていた。