護神としての神社である。京都三熊野のひとつ。明治期4社殿を修築したが、1978年(昭和53)に一社相殿に改
襄の墓がある。熊野御幸の起点でもある後白河上皇は34回いかれたという。
といい、疎水の山側は自然の森となっており、対岸側に桜並木がある。そのため春は桜、秋は紅葉が美しい区
両側が住宅地となり、疏水の両岸に桜並木が植えられている。歩道も東側にもある場合があるが、よく整備され
ているのは西側だけである。桜の季節や紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう。明治の頃、文人が多く住む
学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。1972年(昭和47年)、地元住民
が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。日本の道10
0選にも選ばれている散歩道である。