た。1070年には祇園社は鴨川の西岸の広大の地域を「境内」として認められ、朝廷権力からの「不入権」を承認
叡山から独立させた。以降、祇園祭は経済的に力をつけていた京の町衆により行われるようになり、現在に至っ
ている。
4時半から始まる「お迎え提灯」の巡行を見物するため、次第に境内に人々が集まってくる中、境内に案内放送
が流れ、午後3時から消防署の指導により、今晩神輿洗い神事の際、境内で大松明を燃やすので飛び火防止
のため、本殿の檜皮葺の屋根に放水するという。時間になると大屋根全体に取り付けられた沢山の放水口と周
囲に設置された放水銃からの放水が開始された。わたしもそうだが初めて見る人々が多く、感嘆の声が境内に
広がる。集中豪雨の時のように大屋根から激しい水が流れ落ち、風に乗って辺りに広がる霧のような細かい水
滴がりひんやりとして心地よく、思わぬ体験に手を叩く人もいる。数分で放水が終わっても屋根からはしばらく滝
のような水が流れ落ち、初夏の陽の光に本殿全体が輝いていた。