京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

盛夏湖東百済寺その5 千年菩提樹と鐘楼

イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
仁王門をくぐってさらに石段を登ってゆくと本堂下の石垣が見えてくる。百済寺城だけあってその石垣は城郭そ
 
のものの石垣である。本堂は室町時代の明応7年(1498)に火災にあい、文亀3年(1503)に兵火をうけ、さらに織
 
田信長によって天正元年(1573)全山焼失した。その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。のち天海僧正
 
の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工。
 
現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられている。
 
金剛輪寺西明寺の本堂よりもひとまわり小さいが、天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年
 
12月に文化庁より重要文化財の指定を受けている。
 
本堂の横に大きな樹木がある。千年菩提樹という。百済寺の説明板によると、推定樹齢約1000年。直径1.6メート
 
ル、周囲約5メートルで、天正元(1573)年4月7日、信長の焼き討ちに逢い、焼損したが、根が生き残り、幹の周り
 
から蘇った。直径約80センチの中央空洞部が、焼き討ち当時の幹の直径に相当する。山号「釈迦山」にちなん
 
で、 “仏陀の聖樹”として崇められている。植物図鑑などによると、菩提樹シナノキ科の落葉高木。中国原産。
 
小さな球形の堅い実がなり、種で数珠を作る。寺院に多く植えられるが、釈迦が、その下で悟りを開いたとされる
 
インド産の菩提樹(クワ科の常緑高木)とは異なる。菩提樹の側に鐘楼がある。お賽銭を入れて撞いてみた。
 
遠慮がちに撞いてみたが思いの外大きな音が人気のない境内に広がっていった。秋になれば紅葉見物の人々
 
で鐘楼の周りも埋め尽くされることだろう。