縁側に有料の鯉の餌箱が置いてあったから自由に餌を与えていいのだろう。子供連れの家族が餌を与えてい た。立派な錦鯉が寄ってくる。餌を奪い合う水音が静かなたたずまいの中を広がり、波紋も広がっていった。
仁王門をくぐってさらに石段を登ってゆくと本堂下の石垣が見えてくる。百済寺城だけあってその石垣は城郭そ のものの石垣である。本堂は室町時代の明応7年(1498)に火災にあい、文亀3年(1503)に兵火をうけ、さらに織 田信長によって天正元年(1573)全山…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。