湖のオキノシマですよと、答えてから考えてみると、島根はオキノシマであり、琵琶湖はオキシマだったのであ
る。昔からオキノシマ、オキノシマと云ってきたからそう思い込んでいたし、字も沖ノ島と思っていた。遅まきなが
らこの勘違いに気づいて、このブログでは「沖島」と掲載した。だが昔から「奥の島」とも呼ばれてきたから「沖ノ
島」も間違いではない。
堀切港から改めて沖島を眺め、また地図を見てみるとひょうたん型をした島であり、南西のくびれた場所に港が
あり、そこが島民の居住区域となっている。居住区域は島全体の10%もないだろう。位置関係からいえば琵琶湖
の東岸より北湖の南東部に位置し長命寺の半島部北約2㎞(最短部1.3~1.5㎞)の沖合にある。島の大きさは東
西2.5㎞、南北1㎞周囲約7㎞面積は約1,5k㎡で琵琶湖に浮かぶ島のうちで最大の島である。地形的にいえば沖
島は尾山(標高225m宝来が嶽とも呼ばれる)と西南部の頭山(標高139.8m)の二つの山を中心に島のほとんど
が山林でその斜面が湖岸近くまでせまっている石英斑岩からなり風化・浸食が進み、湖岸には多くの岩石が露
出している。島には平地が極めて少なく、ほとんどが西南部の狭小な平地に密集していて織田信長によって特
権的な専用漁場を与えられて以来主に漁業を営んで生計を立ててきた。山が琵琶湖まで迫り、わずかな平地を
求めて140余戸(400人弱)の人々がわずかな平地にひしめきあうようにして生活してきた。昭和55年の158戸、75
この日堀切港の桟橋で連絡船を待つのは小生の他、釣り人2人、絵画同好会の写生グループ、そして地元民数
名であった。