京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

炎 その1

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京の北山、山深い鞍馬山の集落で千年以上続けられてきた奇祭、鞍馬の火祭り・・・

平安時代中期、平将門の乱や大地震など、動乱や天変地異が相次いだ。940(天慶3)年、世の中の平

安を願って、朱雀天皇の詔で御所に祭っていた由岐明神を北方の鞍馬に遷宮することで、北の鎮めとし

た。その際、松明、神道具などを携えた行列は、十町(約1キロ)に及んだとされる。この時、鴨川に生

えていた葦をかがり火として道々に点灯したほか、遷宮の行列は1kmにも及んだという。これに感激した

鞍馬の住民がその出来事と由岐明神の霊験を伝えるために始まったものが起源といわれる。

京都に生まれ育ったのに、昔から行けずに気になっていた鞍馬の火祭りを今年ようやく見ることができ

た。全山覆い尽くすような大変な人出であり、夜祭であり山上での一泊が必要だと聞いていたから、いま

まで行くことに億劫がっていたのである。

10月22日京都で時代祭りを観たあと四時過ぎに三条京阪に行くと、通常鞍馬までの切符が買えるのだが、

出町柳までしか買うことができない。鞍馬までの叡山電車出町柳で買ってほしいと。駅の入場や鞍馬山

への入山の人手の状況によっては制限することがあるという。いよいよ懸念していたことが現実味をおび

てきて憂鬱になり、やや後悔の念が胸をよぎる。狭い叡山電車のホームへは入場制限があったものの、し

ばらく行列の尻にくっついて待っていれば、無事乗車。ただし車内は満員。時代祭りの流れの観光客が多

いのか外国人がやたらと目に付く。約30分ほどで鞍馬の駅に着く。駅前から鞍馬山の山門石段の下までの

参道は人、人、人である。警察の騒々しい警備の案内がさらに熱気と雰囲気を盛り上げる。

祭事の流れ

•18時頃より、「神事にまいらっしゃれ」という神事触れの合図により集落の各戸に積まれた松明に点

火。

•初めは主に子どもが小さな松明を、その後は青年など大人が比較的大きな松明を持って「サイレイヤ、

サイリョウ」(祭礼や、祭礼の意)のかけ声と共に集落内を練り歩き、「仲間」と呼ばれる御旅所へ向か

う。

•20時頃より、各仲間からの大松明が鞍馬寺山門前に向かう。各松明は山門前にひしめき合い、その後石

段下の一ヶ所に焼き捨てられる。

以下の流れは時間の関係で残念ながら体験できず。

•石段奥の注連縄が切られて、八所大明神、由岐大明神の順序で神社から神輿が下る。参道が急なため、

スピードが出過ぎないように女性が綱を牽く(この綱を牽くと安産になると伝えられるので、若い女性が

多く参加している)。

•神輿が降りる際、ふんどし姿の青年が担ぎ棒にぶら下がるが、これを『チョッペン』という。これは元

服の儀式であり、鞍馬の青年にとっては一生に一度となる成人の儀式である。

•神輿が集落内を練り歩き、御旅所に安置される。

•神楽の奉納のあと、神楽松明が境内をまわる(24時頃終了)。

•翌2時頃、神輿が御旅所から神社に戻る「還幸祭」が行われ、祭事のすべてが終了する。
                       
フリー百科事典『ウィキペディア』から抜粋