の反対方向、つまり右に向かって清凉寺から落柿舎、そして常寂光寺方面、すなわち奥嵯峨の一部を訪ねるこ
とにした。
駅から通りに出て右方面を眺めると通りの先に清凉寺の仁王門を見ることが出来る。
釈迦堂の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗である。「五台山」
の額が掛かる仁王門を入ると、正面に三国伝来の釈迦像を安置する本堂(釈迦堂)がある。現在の本堂は元禄
14年(1701年)に再建された。仁王門から本堂への参道の西側には法華経に由来する多宝塔や鐘楼がある。
蓋骨と別に首のない2人の骨、馬1頭の頭の骨が発見された。骨は人為的に埋葬されたものとみられ、頭蓋骨は
20代男性のもので顎に介錯されたとみられる傷や、左耳に障害があった可能性が確認され、年齢や骨から類推
する体格から秀頼のものではないかと推測されたという。骨は昭和58年(1983年)、京都の清凉寺に埋葬され、
首塚の下で眠っている。