われる端正な石垣と旧家、そして里坊が点在する。「里坊」とは、まず「里坊」の対となる言葉は「山坊」である。
延暦寺は、三塔十六谷と呼ばれるように、大きくは東塔・西塔・横川の三塔に区分され、その中に谷と呼ばれる
十六のエリアが存在する。この谷の中に院や坊の堂舎があり、これが山上の坊、つまり「山坊」と呼ばれている。
僧侶たちが仏道修行する場が、こうした山坊となる。これに対して里に存在する坊が里坊である。「山坊」がまず
院や坊のことを指す。往時の比叡山の修行は「論湿寒貧[ろんしつかんぴん]」といわれたように、厳しい自然と
の闘いでもあった。その厳しさに堪えられなくなった老僧や病弱の僧徒が隠居保養するため、天台座主から賜っ
門跡や東照宮、慈眼堂などがある周辺は大きく変貌した部分という。中世の街並みを伝える詳細な記録は残さ
れていないため、近世の街並みがどれだけ以前の姿を反映しているかは不明であるが、中世の記録に見える
道の名称や町名は、現在のそれに通じるものが多く見られるという。近世の坂本には、多い時で80ヶ所を越える
里坊が存在していたという。