京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

坂本の初夏その3

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

鶴喜蕎麦の店がある日吉大社の参道から西教寺へ向かう脇道に入ると閑静な世界が広がる。穴太衆積みとい

われる端正な石垣と旧家、そして里坊が点在する。「里坊」とは、まず「里坊」の対となる言葉は「山坊」である。

延暦寺は、三塔十六谷と呼ばれるように、大きくは東塔・西塔・横川の三塔に区分され、その中に谷と呼ばれる

十六のエリアが存在する。この谷の中に院や坊の堂舎があり、これが山上の坊、つまり「山坊」と呼ばれている。

僧侶たちが仏道修行する場が、こうした山坊となる。これに対して里に存在する坊が里坊である。「山坊」がまず

あり、対となって山麓に「里坊」が造られることになった。すなわち「里坊」とは一般に延暦寺の僧侶が里に設けた

院や坊のことを指す。往時の比叡山の修行は「論湿寒貧[ろんしつかんぴん]」といわれたように、厳しい自然と

の闘いでもあった。その厳しさに堪えられなくなった老僧や病弱の僧徒が隠居保養するため、天台座主から賜っ

たのが里坊だと言われている。現在の里坊は、江戸時代になって復興したものであり、織田信長比叡山焼討

ちによって灰燼と帰した坂本は、延暦寺日吉社の復興とともに町も復興させていく。焼き討ち以前の街並みを

踏襲しながら復興していったようであるが、延暦寺復興に尽力した天海(慈眼大師)によって建立された滋賀院

門跡や東照宮、慈眼堂などがある周辺は大きく変貌した部分という。中世の街並みを伝える詳細な記録は残さ

れていないため、近世の街並みがどれだけ以前の姿を反映しているかは不明であるが、中世の記録に見える

道の名称や町名は、現在のそれに通じるものが多く見られるという。近世の坂本には、多い時で80ヶ所を越える

里坊が存在していたという。