京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

岐阜の町をゆくその8

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笑みを浮かべたような表情の仏様…思わず手を合わせてしまう・・・

1891年(明治24年)10月28日に濃尾地方で発生した、 日本史上最大の内陸地殻内地震は「美濃・尾張地震」と

も呼ばれた。死者は 7273人,負傷者1万 7175人に及び,全壊家屋は約 14万戸.に及んだ。岐阜測候所は震災

直後から県内各地に所員を派遣しして濃尾地震の調査にあたり、貴重な写真資料を大量に伝えた。その中の 

1枚に正法寺大仏殿の写真があった。欧米から取り入れられた近代建築を含め、多くの建物倒壊写真が濃尾震

災の惨状を生々しく伝える中に、まったく被害がうかがわれない大仏殿の姿が写されていた。この辺りは特に大

きな被害を受けた地域であった。被災地に屹立する大仏殿の姿は人々に大きな感銘を与えたことだろう。しかし

それ以上に当時の人々に示唆を与えるところとなった。建築技師佐藤勇造はこの地震で倒壊しなかった建物を

分析し、筋交(すじかい)などによって柱と柱を強く縛り、建物全体の強度を増したことにより倒壊を免れたとして

その重要性を指摘した。このように濃尾震災をきっかけとして耐震建設の重要性が指摘され、これがその後の

建築基準の概念の基礎となったという。江戸時代の大工たちの技術水準の高さに改めて知らされたといってい

い。大仏殿の天井を見上げるとその思いを一層強くするのである。