目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36m。周囲1.8mのイチョウを真柱として、木材で骨格を
の経典が書かれた美濃和紙を張り付けて漆を塗り、金箔を張っている。経典は当時の住職が読み一枚一枚貼
られている。このことから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」という。江戸時代の寛政の頃、金鳳山正法寺の第11
来像の建立をはかる。1791年(寛政3年)頃から、大仏に使用する経本を集めだすが、思うように集められず、各
地を托鉢してひたすら集める。1800年には堂が完成。その時には大仏の頭部のみが完成していた。1815年(文
化12年)、惟中は志の半ばで亡くなる。暫く中断したが、第12代肯宗和尚はその後を継ぎ、引き継いで13年後の